8月29日を境に朝夕とも鳴かず「んっ ! 今年はもう店じまいか ?」と思わされたヒグラシのあの澄み切った鳴き声が今朝、5時ジャストの時報とともに聞こえた。
時報は単なる偶然だろう。人間は得てしてこういうところに何か意味を見つけようとしたがるものだが…
今朝の空気も涼しく、確かにヒグラシが鳴くのは猛暑の夏でも気温の比較的低い早朝と日が傾き始める午後遅くから夕方にかけてだから特段不思議がることもないのだが、どこかしっくりこない。
空は雲に覆われて薄暗いし、夏には不釣り合いな北風が吹いているからかもしれない。
ヒグラシの鳴き声につられるように、こちらもあまり聞こえてこなくなっていたアブラゼミも鳴き出し、いつも一番遅くまで鳴き続けるミンミンゼミも加わってにぎやかになり始めた途端、ヒグラシの鳴き声は止んでしまった。
和して同ぜず…そんな感じでもある。大事なことだ。
早朝のセミ時雨というものはだいたい30分ほどだが、ヒグラシはそれより短く15分~20分程度というのが定番である。
そもそも鳴き出しが早いからかもしれない。なんにでもそれなりの理由があるものなのだ。
早朝のセミ時雨を聞くと禅寺などの朝の勤行を連想してしまう。
もっとも、勤行の方はまだ暗いうちから始まるから比較にはならない。
ボクが初めて円覚寺の山門をくぐって在家の禅道場である居士林で10日ほど過ごさせてもらったのは今から54年前の高3の夏だった。
思い起こせば周囲は山ばかりでたくさんの木々に囲まれ、セミは盛大に鳴いていたはずだが、セミの声がうるさかったという印象はまったく持っていない。
それどころか、セミが鳴いていたということすらはっきりした記憶がなくて、夏だから鳴いていたんだろうな…という程度である。
よく言えば坐禅に集中していたということだが、そこは怪しい。
足が痛く、顔の周りを飛ぶ蚊の羽音の憎たらしかったこと、額から目じりを伝って汗がツゥ~ッと垂れるのをぬぐうことも出来ずイラついたことなどなどが思い浮かぶばかりだ。
そうそう、書いていて思い出したが、門前を横切る横須賀線の踏切の警報音がカンカンカンカンと大きな音で聞こえてきて、それが耳についてつくづく嫌な音だなぁもっと小さな音にならないのかと思ったものだ。
未熟者にはいったん気になると深みにはまっていく傾向があって、それは辟易するほどだった。
昔の警報音は大きな音を遠慮なく振りまいていたが、さすがに最近は改善されたらしく、境内奥深くまでは届かなくなっているのには感心した。
当然住民の苦情も溜りに溜まった末の改善なのだろう。
思い返せば円覚寺に毎週日曜日、坐禅をしに通っていたのは2月が最後だった。
コロナが猛威を振るいはじめた3月には拝観さえ自由に出来なくなってしまったものだ。
今は拝観は出来るが、坐禅会は相変わらず中止になったまま。
夏も終わることだし、禅寺の独特の雰囲気の中でまた坐りたいが、いつのことになるのやら。
まさか、来年のヒグラシは円覚寺の大方丈に坐りながら聞けるだろうな。
切にそう願う。

8月いっぱい続いた真夏の晴天がウソのように、月が替わった途端のこの曇天
あろうことかご丁寧に傘マーク付きの曇りマークが来週の月曜日まで並んでいる
見出し写真は昨日9月1日防災の日午前11時ころの湘南鵠沼海岸のサーファーたちの群れ
茅ケ崎までの湘南海岸一帯のスポットはこれほどでないにしても大勢のサーファーが繰り出している なぜかわが町では防災にかかわる何の反応も防災無線から流れてこなかった

鵠沼の隣の片瀬西浜

今夏初めて海に浸かったら、ないはずの波がいきなり立って、はいていた短パンがずぶぬれになってしまった ちょうどよかったけどね ♪