大異山高徳院清浄泉寺。
国宝銅造阿弥陀如来坐像…つまり、大仏さんが青空の下、星空の下に鎮座する鎌倉・長谷にある浄土宗のお寺。
地元では「長谷の大仏さん」が通り名で、たまに「高徳院さん」と言う人にも出会う。
でも清浄泉寺という名前、それもショウジョウセンジって読むんだぁ~と知ったのは今回大仏さんの背丈を確認しようと思ってググって初めて気が付いた。
鎌倉駅前で観光客の人に「ショウジョウセンジに行きたいんですがどうやって行けばいいですか」と聞かれても????だろう。
鎌倉市民にクイズを出したら正答率は相当低いだろうね。知っている人の方が少ないかも。
もっとも観光客だって、わざわざこの寺の名前を口にして道を尋ねるような人がいるとも思えないから知らなくたってどうと言うことはないけど…
謎の多い大仏で建立年さえ定かではなく、1252年(建長4年)ころと言われているだけ。
誰が原型作者なのかさえ今もって分からない。
奈良の大仏が天皇の命による建立ゆえに、きちんと記録が残っているのとは大違い。鎌倉幕府の公式記録である吾妻鑑にも大仏建立の詳細はなく、国家プロジェクトとして作られたわけではないことは明白である。
今でいうところの民間主導ってヤツかもな。
最初から露座だったわけではなく完成直後は堂宇の中に収まっていたらしい。
しかし、1334年と1369年の大風、1498年の大地震によって堂宇が損壊して以来一度も再建されず、今日に至っているようである。
おまけに1923年の関東大震災では像全体が約45cmほど前に滑り、台座も前側が約45cmも地中にめり込みもした。
ただ、滑ったおかげで像本体へのダメージは少なくて済んだというのが専門家の見方のようで、何とか事なきを得たということだろうか。
優しいお顔とは裏腹に、苦難の歴史がしのばれる。
台座も含めて高さ13.35mの高さのある大仏さんだけに、どこからかのぞき見は出来ないかと思うのは人情というもの。
でも、高徳院さんのポリシーなんだろうが、「絶対にのぞき見はさせないよ」という強い意思を感じさせるほどに、高い塀と常緑樹の木立で視界を完全に遮っているので、チラ見はまず不可能。
殊に交通量の多い県道側は見事にふさがれていて取り付く島もない。ところが裏に回って地元の人しか利用しない市道は、極たまに木々の隙間が現れてお姿が現れることがある。
特に冬はチャンスで、常緑樹は相変わらず目隠しになっているものの、所々に混じる落葉樹の葉が散る時がチャンス到来。
昨日久しぶりに通ったら案の定でした。そして思わず声がこぼれ…
おっ 大仏さん !
う~ん、見えそうで見えない…
あ~っ胸の辺りが見えかかって…
お~っ !
かまくらや御ほとけなれど釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな
歌人の与謝野晶子が美男とまで呼んだ大仏さんは釈迦牟尼ではなくて阿弥陀如来の間違い。
晶子本人は間違いを指摘されて「御仏なれど大仏は」と直したりしたそうだが、それでは仏が重なるし、何の価値も無いということで、オリジナルがそのまま生き残っている。
確かにシャカムニって言う言葉の響きもそうだし、4つ並んだ釈迦牟尼という字の感じもそのままがしっくりくる。