今日は冬至。
一陽来復とも言う。
ぼくはこの「一陽来復」という言葉がことのほか好きで、この言葉に接すると心が軽くなるような気がするし、希望に包まれる感じがして嬉しくなる。
まず第一に、光が戻ってくるという意味合いが何より素晴らしい。
万物の力の源である光がこのところすっかり影を潜め、申し訳程度にしか降り注いでくれていなかったものが、この日を境に勢いを取り戻していく境目なのだ。
第二に、とはいうものの一足飛びに光あふれる春がやって来るというわけでもないことは重々承知で、これから寒さの底を迎えるのも織り込み済みだ。
それでも嬉しく感じられ、待ちに待った感がするのは「冬来たりなば春遠からじ」の言葉に象徴されるように、間もなくやって来る寒さの底さえ潜り抜ければその先には春が待ち構えていて、その先にはさらに大好きな夏が控えているという、果てしない希望に満ち溢れているからに他ならない。
第三に、日足が伸びていく折り返し点だということだろう。
短くなる一方だった陽の長さだが、これからはずんずん長く伸びていく。
ヒトも他の動物たちも、そして植物も陽の光を浴びなければ生きてはいけない。
それもたっぷり浴びる必要があるのだ。
伸び始めるといっても、最短である今日の日の長さ9時間47分が実際に伸び始めるのは27日で、この日に1分伸びて9時間48分になる。
…そしてついには夏至に至って日の長さは14時間33分という長きに至る。その差は何と5時間46分にもなる。
昨日の夕方、風呂に入ろうとしたら妻が「ユズがあるけど、一足先にユズ湯にしてゆっくり温まる ? 」と聞くので、「いや、明日の楽しみに取っておく。やっぱり冬至の日にしたい」とお預けにしておいた。
今夜こそユズの香りを楽しみながら、一陽来復に思いを馳せたいと思う。
南関東は午後から雨らしいけど、湯船に浸りながら一杯やるのも悪くないなぁ。
その前にこれから、今年最後の坐禅会に行ってくる。
「雑念を消し去ることが出来ても、場合によっては敵意というかえって始末の悪いものが生じる恐れがある。雑念まみれでもいいのだ。それが人間のありのままの姿でもある」と、先週の法話で横田南嶺管長から聞いたばかりだ。
気合を入れて雑念まみれになって来たいと思う。
横浜イングリッシュガーデンで今「エレガンス・ミユキ」が満開になっている
ウメとサクラの交配種でアメリカで作出され日本に持ち込まれた品種だが、だいぶ大きな株に成長した
そもそもウメとサクラを掛け合わせようなどと言う発想は日本人のものではなく、何だって自分たちの思い通りになると考えているアメリカ人らしい