自分の娘の入学式にも卒業式にも出たことはなく、一度だけ長女の父兄参観に行ったことがあるくらいである。
それも担任の女の先生が美人だというので…
そんなわけだから、孫の入学式に遠くからいそいそと出かけてくること自体、エポックメイキングなことと言って良いだろう。
しかし、いくら時代が変わったとはいえ、じいさんばあさんまで式に参加して良いものか。
言い訳をすれば、姫の父親が生憎海外出張と重なってしまい、じじばばのところに出席要請が来たのであって、父親が出席するのであれば、それに加えてノコノコ出ようとは思っていなかったのだ。「それなら仕方ねーや」と神輿をあげたのである。
これも何かの縁である。
しかし、フルで出席すれば1人の新入生に両親とそれぞれのじじばばの6人が付き添うことになるのである。
かくいう当方はムコ殿の母親が参加するから付き添い4人である。
体育館に入りきれるのか?
いつ頃からこんなことになったのだろうか。
我が娘の頃は両親が揃うことさえ稀だったように思うのだが。
少子化で子どもに対する期待度といったものが、当時と比較できないほど変わってしまったんだろうか。
あまりベタベタするのもどうかと思うんだが…
かく言う小生なんぞは、小学校の入学式は別として、中学、高校、大学の入学式も卒業式も親の出席を拒否した記憶がある。
なぜって、照れ臭いし、今の言葉で言えば「ウザ」かったんである。
よくとれば自我の確立が進んでいた。悪く言えば、親不孝のわがまま。
ま、そんな屁理屈より、世の中は全体にもっとづーっと忙しかったんじゃないのかね。
週休2日なんて夢のまた夢。土曜日も働いて、欧米から「働きすぎ」なんて大きなお世話を言われた時代である。
思えば小生などは休みなく、しかも深夜まで働いていた記憶がある。
決して良いことでもないけれど、仕事柄そういう状況になることがしばしばだったんである。
まあ、望んで選択し、運良く進めた道ではあるから、悔いも何もないけれど。
その時代を振り返ってみれば、親は誰でも働くことに懸命だったんじゃないだろうか。何しろみんな勤勉だったような気がする。
正直で勤勉。世界のどこを探したって、そうザラに存在する人種じゃないような気がするが、今や昔。ひょっとしたら絶滅危惧種に近くなくなってきたのかもしれない。
汗水垂らさず、出来るだけ楽して稼ごうという気分がはびこり始めているんじゃないのかね。
年をとるということは、かくも若者をけなし、自分の生きた時代、自分のやってきた過去を唯一絶対的なものとして悦に入るのだろうか。
思えば遠くへ来たものよ。
宇都宮大学構内のサクラと花びらの絨毯
1週間前に満開になったサクラが、途中で冬の寒さにさらされて、まだ頑張っている
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