ちょうど一回り年下の後輩のお別れ会に出かけた。
ボクが部下を持つようになって初めて大卒ホヤホヤの新人として配属されてきた思い出深い人物である。
生き馬の目を抜くとも形容される職場環境にあって、生きているんだか死んでいるんだかわからないような反応の悪い奴で、この職業には向いていないんじゃないかと思っていたが、とにかく無口だが粘り強い性格で、毎日のようにどやしつけ、尻をひっぱたき続けたところ、それに耐えて何となくサマにはなったのだ。
ボクの元は1年で去ったが、巣立っていった先では米海軍に関する重要な動きを歓楽街で飲んでいる水兵たちのなにげない会話のなかから敏感に読み取って一大スクープにつなげたり、粘りの本領を発揮した仕事ぶりで活躍の場を広げていった。
その後何年かしてボクがさらに責任の重い仕事に就いた時は、ボクが最初に彼と出会ったポジションを彼に任せたのだった。
すると、最強の権力機関の一つであるその組織で深刻な不祥事が相次いで明るみに出ることとなった。
この権力機関と真っ向から対峙するのはそうたやすいことではないのだが、彼とはよく話し合い、「ここは何があってもひるまずにやろう。それが仕事なのだ。何かあればオレが腹を切るから安心しろ」と確認し合えたのは、ひとえに奴の粘り強い性格と慎重で動じず、ブレることのない性格を信頼したからに他ならない。
その成果としてほどなく極めつけの不祥事を暴く大スクープが飛び出し、最高責任者を辞任に追い込むという大手柄を立てたりもした。
そういう胆力も備えた奴だったのである。
そして同僚や若手の信頼を集めて出世の階段を駆け上り、若くして役員にまで上り詰め、まだまだこれから先会社の屋台骨を支えて行かなければならない立場だったのに…
58歳。心筋梗塞での突然死。
一見いつも煮え切らないような顔をして、グズグズしている奴が、こういう時に限って素早く逝ってしまうというのはどういうことだ。
バカたれが !
会場を後にして、どうにもやり切れず、隣の中華街の馴染みの店に立ち寄って紹興酒をあおりながら店主のタケさんに愚痴を聞いてもらった。
雨が上がり、日が射して来たので丘の上に上がって港を眺めていたが気持ちは晴れない。
一夜明けた今もその残滓を引きずっている。
お別れだ。わが家の花壇の花をヤツに捧げよう
港の見える丘公園のバラもつぼみがだいぶ膨らんでいる