ふとしたことから、来年が結婚して50年になることに気付いた。
いわゆる金婚式ってやつである。
ボクらの夫婦は大学時代に知り合って社会人2年目の24歳の時に一緒になった同い年で、女性はともかく男性としては当時としても割と早い結婚だった。
一応、好き合って結婚したので、当時は「この女性と一緒に銀婚式くらいは迎えたいものだなぁ…」という漠然とした思いはあったが、「金婚式」と言うのは途方もないはるかな時間が過ぎないと巡ってこないもので、自分達にそういう日が来るということを想像するのは難しかった。
しかも、お互い健康でいられるだろうか…
幸い山の神は来し方、病気ひとつしたことがないし、ボクは仕事柄の不規則な生活に加え、酒タバコは度が過ぎるくらいに身近に置いておいたものだから、長患いこそしたことは無いが、あちこちのタガが緩んでしまって主治医の世話なくしては、とてもここまでは元気で迎えることは不可能だったろう。
おまけに、今から22年前には開頭手術なるものを受けて脳の大動脈で見つかった動脈瘤を除去する8時間に及ぶ大手術を受けた。
もし動脈瘤の存在に気付かず過ごしていたら、50歳代の前半で動脈瘤破裂による脳内出血を起こし、多分命は無かっただろう。
命が助かったとしてもどこまで日常生活を取り戻せていたか…
運が良かったというほかはない。
それともう一つ。
新聞社勤務という仕事柄、ボクには昼も夜も無く、土日に休みが取れるということもまれで、一旦家を出ればその日のうちに帰れることはほぼなかった。
自宅を出る取材対象を早朝に待ち構えて話を聞く朝駆けはあまりしなかったが、夜討ちは毎日のようにしていたからなおさらである。
性格的には短気でわがままな方だから山の神を随分と困らせ、時には悲しませたこともあったと思うが、顔にも出さず好きなようにさせてくれた。
給料袋(当時は給料は紙袋に入れて配られていた)を封も切らずに渡していたのは「家のことはすべて任せたぞ」という趣旨だったから、子どもの世話や教育のこと、家計のやりくりも一切合切任せっぱなしにしてしまった。
ボクは山の神が封を切った給料袋から小遣いをもらう身分だったので、山の神にとっては世話の焼けるわがまま息子位の存在だったのではないか。
頭が上がらないのは同居していたボクの父親の面倒まで30年間も押し付けたにもかかわらず、愚痴の一つもこぼさなかったこと。
何の気がかりも迷いもなく仕事に打ち込めたのは、こうした背景があってのことである。
娘たちには「うちは母子家庭だったわよ」とよく言われるが、穴があったら入りたい。
ただ夏休みだけは1週間、きちんととって毎年信州のいとこのところに遊びに行き、一緒に遊んだ。
これはボクにとっても仕事のことを完全に忘れることのできるという観点から好都合なことで、貴重な時間でもあった。
まっ、50年間の事だから思い出を手繰れば様々なことが思い浮かぶが、ここに端から書くわけにもいかないので、この辺にしておこう。
胸に去来するのは長々と付き合って支え続けてくれている山の神への感謝と、幾たびかのピンチを乗り越えて尚、曲がりなりにも日常生活に何の不自由もなく過ごして来られている事への感謝しかない。
結婚当初、思いも及ばなかった50年という歳月が現実なものに近づいている今、感慨もひとしおである。
「えっ、50年も経とうとしてるんだ…!」
半年後の来年5月にその記念日がやって来る♪
庭のバーガンディーアイスバーグ
同じくブラッシングアイスバーグ