毎年9月18日と決まっていて、日曜日に当たることもあったんだろうが、流鏑馬同様これまで見たことはなかった。
自由人になったお陰である。
鎌倉権五郎景政を祭る神社で9月18日は権五郎の命日だそうだ。
百人を超す氏子や神職の行列の中に面をつけた10人が加わる。「伎楽」と呼ばれる仮面劇の面を曾型にした面だという。
伎楽は奈良時代に伝わったとされていて仏教普及のために日本全国の大寺院で盛んに上演されたそうな。
インドがルーツで東南アジア、シルクロードを経て中国、朝鮮半島から日本に伝わったので、面にはその周辺国に住んだ人種をほうふつさせるものが浮かんでいる。
ちょっと古代の風俗を偲ばせるところもあって興味深い。
元は京都の石清水八幡宮から鶴岡八幡宮に伝えられたが、鶴岡八幡宮ではやらなくなり、ここをまねた権五郎神社の面掛行列が今に残ったんだそうな。
今では県の無形文化財に指定されている。
孕み女を意味する「はらみっと行列」とも呼ばれ、「阿亀(おかめ)」の面をつけてお腹を膨らませた妊婦が腹をさすりながら、産婆役の女を従えて歩く姿はなかなか滑稽。面掛け10人衆の中で最も人気がある。
行列が折り返してくると沿道で見物していた女性客の幾人もが「阿亀」に近寄ってお腹をさすっている。さすると安産の御利益があるんだとか。
傍若無人のカメラ爺も飛び出して写真を撮ろうとするから「阿亀」が進めない場面も。
元気なのはご同慶の至りだが、自分さえよければいいってもんじゃないだろうに。
頼朝が京都周辺からの一団を呼びよせて極楽寺周辺に住まわせ、寺の雑用や芸能などの仕事をさせていた。そのリーダーの娘を孕ませてしまったことから、その一団が力を持つようになり、頼朝の外出にはそばに仕えるようになった。しかしなので顔を面で隠したのが始まり、という言い伝えがある。
もう一つ、孕ませたお詫びに年に一度無礼講を許した。だから孕んだ女性が含まれている、という説もある。
どちらにせよ大元の石清水八幡宮の面掛行列は頼朝とは無関係だから、これらの俗説は鎌倉だけのもののようである。
行列に先だって境内で湯立神楽が奉納された。釜に湯を沸き立たせて神前に供えるもので、その儀式の過程で12番の神楽が舞われた。
湯立神楽はどこの神社でも奉納されるものではなく、鎌倉ではここだけだそうだ。しかも12番までやるのは権五郎神社など数えるほどで、たいがい8番までだとか。伊勢神宮の式年遷宮の儀式にも全国から選ばれて奉納してきたとか。1時間超にわたって繰り広げられ、「へぇ~」という思いで見物してきた。
流鏑馬に続いて面掛行列。すっかり秋ですなぁ。
右から「爺」「鬼」「異形」「鼻長」「烏天狗」「翁」の面々
「火吹男(ひょっとこ)」
「福録」
「阿亀」と「女(とりあげ)」
「湯立神楽」で釜の湯にお神酒を入れる場面
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