夢窓疎石作庭と伝わる妙香池の水が年初に突如枯れた北鎌倉の円覚寺だが、異変はとりあえず池だけで、境内に多く植えられているウメが今盛りを迎えている。
世間的に見ると円覚寺が花の寺だという印象は薄いが、そこは知る人ぞ知る存在として期待を裏切らないものがある。
例えば参道沿いに植えらえたウメやアジサイは鎌倉で花の寺とされて観光客を集めている寺々と比べても引けを取らないくらい見応えがある。
そういう存在でありながら、境内が広く、建っている建物ひとつとっても大本山のものは大きいので、小ぢんまりした寺々ほど花が目立たない…ということでもあるのだと思う。
そして公開されている塔頭の庭にもさまざまな花を咲かせる植物が植えられ、花好きは「おぉ、今年も咲いたか♪」と季節ごとに楽しませてもらっている。
円覚寺との付き合いは58年前の高校3年生の夏に遡る。
10日ほど、在家の坐禅道場に泊まり込んで参禅をさせてもらったのが始まりである。
現役時代は職業柄、とても坐禅をする時間など取れなかったが、現役卒業と同時にまた坐禅をしたくなり、横田南嶺管長の説教が聞ける毎週日曜日の説教坐禅会に参加してきた。
コロナで中断し、コロナ後は横田管長の出番は月に1度に減り、ボクの円覚寺詣でも月一になってしまった。
その月一も12月から休んでしまっている。
数年前に前立腺の病気をし、なおかつ寄る年波?のせいでトイレが近くなってしまい、暖房のない寒い場所でじっとしているのには限界が出来てしまった。
仕方なく、トイレに近い端っこに座り、トイレをもようしたらこっそりその場を抜け出して…ということをしてきたが、それもたびたびでは横田管長に失礼である。
周りの人にも迷惑だろうと思い、「おむつ」も考えたが、何もそこまで…と思い、「暖かくなるまで休もう」と決めた。
我ながら情けなく、悲しいが、年を取るとはこういうことかと、ジタバタせずに現実を受け入れることにした。
幸いなことに、管長の説教そのものはコロナ以降はオンラインで同時配信されるのでそれを聞けば済むが、やはり大方丈で直接聞くのとは臨場感を含めて違いが大きく、物足りないが仕方ない。
坐禅だって家でもどこでも場所は関係ないはずだが、凡人にとって雰囲気と言うものは重要で、寺…それも大本山の伽藍の一角で…という場面設定は何物にも代えがたいものがある。
かくして「♫赤い鼻緒のじょじょはいて おんもへ出たいと待っている」みいちゃんのような気持ちで「春よ来い 早く来い」と願うジジイなのであります。
3月の朝はまだ冷えそうだから、4月からかなぁ…

龍隠庵から紅白のウメ越しに仏殿(奥の胴ぶき屋根)と選佛場(手前の茅葺屋根)を眺める

この白梅には薄っすらと緑色が差している




大方丈横の参道にあるウメ
幹の片身を失い、横倒しになりかけてなお復活し、たくさんの花を咲かせている