Wikipediaによれば「鎌倉随一の花の寺」「特にスイセンが有名」とある。
確かにスイセンは早春から境内を埋め尽くすように咲き誇り、境内を芳香が満たす。
しかしボクに言わせれば「随一」は言い過ぎで、他にも「花の寺」という名称を与えても十分通用する寺はいくつもあるから、ここは「鎌倉でも有数の」ぐらいにしておいた方が正確だろうと思う。
その寺は二階堂の静かな谷戸の奥にひっそりとたたずむ瑞泉寺。
臨済宗円覚寺派の禅寺で、本堂裏手には開山の夢窓疎石の手になる岩盤を削った禅宗様式の庭園があり、その後の書院庭園の起源となった名園を持つ。
バラなんてハイカラな花は咲いていないし、アジサイには少し早いし、何が咲いているだろう…と思いつつ、ペダルを漕いだ。
境内は深く、参道には新旧2つの階段が待ち構えている
階段の上り口にある「夢窓国師古道場」と彫られた石柱
左側の元々あった苔むした階段の方を登ると
うっそうとした木々に囲まれた山門に至る
山門には季節季節の俳句が掲げられている
この日掲示されていたのは井上井月の「ぬぎすてよ人の心の蛇の衣」
井月(せいげつ)は江戸時代の人で、放浪と漂泊の俳句を詠み続け、晩年は信州伊那谷に落ち着いて行倒れるように亡くなる
芥川龍之介や種田山頭火、つげ義春らに影響を与えたとされる
山門から眺める境内 左奥が本堂
境内は手入れが行き届いている
この時期は緑が美しい
案の定、咲いている花は少なかったがムラサキツユクサが目立った
紫色のテッセン
アジサイもぼちぼち
左側の建物が本堂
本堂前にもムラサキツユクサ
本堂裏手の夢窓疎石の手になる禅宗庭園 後世の書院庭園のお手本になった
かつてはこの橋を渡って対岸の岸壁に掘られた道をたどって山の頂付近が「徧界一覧亭」と呼ばれる景勝地になっていたそうだが、道が風化して崩れて危険なため寺の関係者も登らないという
右が本堂
本堂の屋根越しの高い所にもやぐらが見える
若い人は知らないだろうが、政治評論家の大宅壮一の「男の顔は履歴書である」が碑になっている
歌人の山崎方代とも縁があり、没後、歌碑が建てられた
「手の平に 豆腐をのせていそいそと いつもの角を 曲がりて帰る」
好きな歌で、この豆腐屋も「いつもの角」も知っている
元来た参道を下って帰る
瑞泉寺は深い谷戸の奥でうっそうとした木々に囲まれ、観光客の姿もほとんどなく、静まり返っておりました
永福寺跡
源頼朝が奥州平泉を攻め、義経や藤原泰衡を滅ぼした後、怨霊や英霊を鎮め、冥福を祈って建立した寺
中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建てられた鎌倉を代表する大寺院だったが、1192年に落慶し、1405年に焼失
その後、泥に埋まっていたが、近年、跡地と建物の基盤が発掘整備され、公園になっている