見出しの写真は去年秋に山形の友人が自宅の庭に生った渋柿のシブを抜いて送ってくれたものを、いくつか冷凍保存していたもの。
熟してトロトロになった柿が大好物のボクは「今際(わ)の際」に口にする食べ物の最右翼に熟柿を掲げていて、常に冷凍庫に保管している。
特に友人宅の柿は別格で、この渋抜きをした柿の甘さの上品さと言ったら京都の天皇家献上の和菓子屋がどんなに逆立ちしたって、束になって懸かって来たってかないっこない深みに加えて、何よりなのはひと口口に含んだ時に口中のみならず全身に広がる幸福感が得も言われないことである。
普段はこのトロトロの柿にウイスキーを一っ垂らししてスプーンを使って食べるのが通というか、オトナ中のオトナの食べ方なのである ♪
(写真の物は少し解凍しすぎでゆるゆるになってしまった。もう少し硬さが残っている方がトロトロ感が出て舌触りもいいはず)
この柿の素性の良さは折り紙付きで、山形は最上川流域の村山地方の肥沃な土壌からの養分をたっぷり吸い上げていることに加え、リタイア後に農作業にのめり込み始めた友人が枝のせん定やら摘果やらに細やかな神経を配っているので、そもそも出来が違う。
しかも、友人のお母さんが旧家に輿入れした時、おじいさんだかちょっと忘れたが、ともかく記念にと庭に植えたものだという。
そして、ほんの2、3年前だが、食が細くなってしまってほとんど食べ物を口にしなくなった母親にこの柿の干し柿を食べさせたところ「美味しい美味しい」と実に嬉しそうに、ほとんど1個を平らげてしまったのだそうな。
まさに「今際の際の一品」になったわけで、この知らせにはボクもさもあらんと大いに納得させられたものだった。
そういう曰く因縁の、とっておきの柿を昨日の食後のデザートとして久しぶりに口にしたのは、昨日がボクにとっての特別な日だったからに他ならない。
干支が6巡し終え、昨日から7巡目に入ったのである。
今際の際用を食べてしまったわけだが、秋になれば改めて送ってくれるだろうし、何より今年も実の付き方が尋常ではないくらいに豊かで摘果もうまく行っているらしく、期待していいらしい。
心配ないのだ。
愛媛で暮らす姫と妹君からはテレビ電話がかかってきて久しぶりに元気な声を届けてくれた。
特に6年生の姫は夏休みに我が家に来るのを楽しみにしていたし、ボクだってそれを望んでいたのだが、今の情勢下では移動だけでもリスクが高く、今夏はあきらめるしかない。
5月の運動会の応援に行く約束もつぶれてしまったし、夏もダメとなると次は年末年始しかないが、これとて望み薄のような気がしてならない。
切ないことである。
姫たちの電話が終わると玄関のチャイムが鳴って来年小学校に上がる若がバラの花を持って顔を出してくれた。
眼だけが出るような、大きなマスクをして母親の後ろに隠れるようにしながら花を差し出す仕草が、この間の行き来の極端な少なさを物語っているわけで、元々照れ屋の君は〝のぞき見の君〟になってしまっていた。
父親が満員電車で東京に通勤しているので万が一のことがあったら大変…というのがわが家に近づかない理由だが、これだって切ない話だ。
高齢者が感染すると命にかかわることが多いというのがその理由で、隣近所でも同じようなボヤキを耳にするが、まったくヤレヤレなものが流行しているものである。
ったく コロナめ !
若が「この色がいい」と選んだバラを2本届けてくれた イイネ !
今朝5時ジャストの東の空 晴れ間が広がるのを期待したが間もなくして雲に覆われてしまった
梅雨明けはいったいいつになることやら…