即ち、ハレの行事が行われた10日は晴天の確率が非常に高くて滅多に雨が降らない、加えてそれ以降の10月中下旬は日本の季節の中でも、際立って安定した好天に恵まれることが多い、そういう理由であった。
はたして、高校1年生だった東京オリンピックの開会式では、真っ青な空に自衛隊のブルーインパルスが五色の輪を描いていて、それは上手に決まったのだが、平和の祭典に戦闘機の演出かよ、どうかしてるんじゃないのと、毒づいたのは懐かしい記憶である。
それほどまでに印象的な晴天だったのである。
しかるに、一昨日の10月10日は南関東では昼過ぎからポツポツ降り始めたらしく、午後8時過ぎに家に帰り着いた時には頭のてっぺんから濡れネズミになってしまった。
そして翌朝も雨が音を立てて強く降るほどで、特異日も廃れたものである。
1964年から51回目の10月10日までの来し方、雨の日数がどれだけあったかは知らないが、珍しいこともあるものだ。
東京オリンピックの後は記念日となり「体育の日」として長いこと休日にされてきたのだが、いつの間にか「体育の日」は中旬の月曜日に変わってしまい、三連休を作り出すための駒にされてしまった。
それが別段悪いというのではない。そういう話ですよ、と言っているだけである。
半世紀という時を過ぎて、気候変動というものがこの特異日を消し去ろうとしているのかもしれぬ。
生々流転、有為転変、行く川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず…
そういうデンでいくと、憲法9条を含む日本国憲法が施行から68年経ったというのも、そろそろ変え時に近づいているんだろうか。
ニュートリノという物質に重さがあることが分かる時代である。と言ったって何のことかチンプンカンプンだが、文学的に超訳すると、この地球の、いや宇宙の法則に例外は無い、ということを語っているとも解せるのだ。
ならばこの憲法も変わり得るといことである。
ただし、物事には「ターム」というものがある。
自然界のものには自然界の定められた一定の法則に基づいたタームがあり、人の造り出す人工的なものにも存在するのだろうが、こちらについては、そのタームに確たる基準があるわけではなかろう。
人が大切だと思い、長く大切にと願えば、100年でも200年でも大切にされて行くのである。
私たちの身の回りにそういう類のものはいくつも存在している。
私自身は68という憲法施行以来の年月の数字の前に2でも3でも付け加えたいものだと、強く思っているのだ。
円覚寺の屋根
円覚寺の階段
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