こういう時、わがステーションワゴンの愛車はごっそり荷物を飲み込んで便利である。
鎌倉から高速湾岸線を抜けて、久しぶりのロングドライブになった。
平日は混み合う首都高も休日ともなるとこんなにもガラガラなのかと驚くほどの空き具合で、いいんだろうかと訝るほどである。
ドライブはさして好みではなく、出かけるならビール片手に列車の車窓の景色を愛でる方が余程の楽しいが、こうしてストレスなく秋晴れの下を走るのであれば、それはそれで結構楽しいものである。
それにつけても関東平野はどこまで走っても真っ平らで、しかも家ばかり密集していて景色としては実につまらない。
これがもう少し高低差でもあり、適度に曲がりくねっていて変化があれば、もっと楽しいだろうに。
真っ平らなのであれば、逆に家も何も見えないだだっぴろい草原でも広がっているほうが余程ましである。
しかし、久しぶりの高速利用で横浜市内を走っているうち、真正面に朝日を受けて標識がまったく見えず、停車するわけにもいかず道を間違えてしまい、往復17、8キロくらいの回り道を余儀なくされるなど、何をやってるんだ! ついに惚けたか‼︎ という嘆かわしいことまで起こったんである。
我ながら情けない事ではある。
ま、そんなご愛敬を経て、3時間半ほどで到着。姫は待ち焦がれてくれていたらしく、車が目に入ると遠くから両腕を大きく振って迎えてくれた。
車から降りると絡みついてきて、離れようとしない。荷物を運ぶのを手伝ってよ、というと大張り切りで、重たいものもウンウン言いながら必死の形相で運ぶなど、ご機嫌である。
最近顕著な情緒不安定とも取れる態度はすっかり消えている。
しかし時間が経つうちに、そういう心配な“現象”が顔をのぞかせるのである。
妹が生まれ出てくるまで、当分続きそうな気配である。
早く抜け出て欲しいもので、元の屈託無い素直で明るい姫に会いたいものだ。
妻も心配して友達の何人かに聞いたりしているが、どうやら稀なケースでもないようで、赤ん坊が生まれてしばらくすると何事もなかったように元に戻ると言うのだが、果たしてどんなものだろう。
心配は尽きない。
ま、今のところ見守るだけである。
それにつけても心配事というのは、ジジイになっても尽きる事なく出現するものである事よ。
宇都宮市内で大谷石づくりの堂々とした教会を見つけた。カトリック松ガ峰教会
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事