北鎌倉の円覚寺にある国宝の梵鐘「洪鐘」(おおがね)にちなんだ「洪鐘祭」(おおがねまつり)が58年ぶりに行われ、円覚寺前の県道を2km余りも通行止めして盛大なパレードが繰り広げられた。
この日の"主役"である洪鐘が作られたのは、2度の元寇を撃退した鎌倉幕府第8代執権の北条時宗の後を継いで執権に就いた第9代執権北条貞時の時代。
しかし、この洪鐘づくりは難航し、失敗すること2度。
そこで貞時は江ノ島に籠って祈りをささげたところようやく成功し、江ノ島から石造蛇形の弁財天像を向かい入れ、鐘楼脇に建てた弁天堂に安置した。
祭りはその鋳造成功のお礼として行われたのが始まりで、歴史資料から古くは1480年に実施されたことが分かっていて、その後は60年ごとの「庚子」(かのえね)の年に行われてきた。
直近では1960年に予定されていたが、円覚寺仏殿再建のため5年間延期され、今回の祭りも本来は2020年に開催される予定だったものが、今度はコロナ禍で今年に延期となっていた。
地元では実行委員会を作ってこの日のパレードの準備を整えてきたが、祭りの細部を知る人物もほとんど残っていないため、準備も手探りだったようで、今回は後世に伝えるためにと、若い人の参加を促していたようだ。
そのせいか、地元の小坂小学校の児童をはじめ、若い人たちの姿が目に付いたのは良かったかもしれない。
昨今の鎌倉ブームも手伝って、60年に一度の祭りの宣伝効果は抜群で、円覚寺前の県道は人であふれた。
そんなわけで、円覚寺は大量の警備員を雇って沿道に配置し、JRは北鎌倉駅にこれまた大量の職員を出して乗客の誘導に当たるなどしたうえに、パレードが始まると良く晴れてきたが、パレードが始まる直前まで冷たい雨が降りしきるなど、どこもかしこもてんやわんやの北鎌倉だったようである。
次回は2080年♪
円覚寺(奥の森)の前の県道付近は身動きが取れないほどの人出
パレードが始まる前の円覚寺前の県道
待つことしばし…やっと触れ太鼓がやって来た
木遣りが続く
そして江の島囃しの一群
大榊と剣鉾
円覚寺の僧侶たち
稚児行列は親の方が嬉しそうだった
横田南嶺円覚寺管長
江ノ島神社宮司
地元の神輿
面掛け行列 鎌倉では長谷の権五郎神社の面掛け行列が毎年行われているが、ここでは地元の八雲神社に保存されている「面」が使われた
おかめの面をかぶった妊婦の仕草に笑い声が起きていた
子ども神輿
更に小さな子が担ぐ子ども神輿がつづく
小坂小の児童たちが手作りした洪鐘の張りぼてが堂々と進む♪
張りぼてには見えない迫力
地元の獅子保存会も参加
子供達が手作りの鎧で武者パレード
kども質の趣向を凝らしたパレードが続いた