「形見分けをしたい」と、電話があった。
この姑の弟(86歳)近くに自分の次女が住んでおられる。
1周忌を終えたら、高級な老人施設に入ると聞いている。
姑は、弟からの形見分けの話に 快諾し、
この家の世帯主でもあり 姑の次男でもある 私の夫に、
大きな博多人形を貰いたい、と相談した。
とても大きい博多人形は、仏壇横床の間部分の 掛け軸の前に飾りたいそうだ。
「うん、いいね!」と、夫が快諾するかと様子を見ていたら、
「物を増やしたくない」と、夫。
これは私も 同感であり、頷いた。
が、姑と夫の間に立ちたくない私は、
それ以上意見を言わず、ほかの部屋に逃げた。
年寄りと、かかわるのは疲れる

自分の親とも、口をきくのも それはそれは気を使うのに、
これ以上、ごたごたに関わりたくない。
一緒に住んでいない夫の兄や弟は、
親との こんな些細な、でも後味の悪い揉め事もなく、
心穏やかに暮らしているのか?と思えば
いつも不公平感が頭をよぎる。
今時、形見分けなる言葉は生きているのか?
若い子にとって、死語になってはいないか?