ナカタがまだ駆け出しだった頃。
とてもよくしてくださり、いろいろ教えて頂いた方です。
「投壜通信」という喩えがあって、これを思い出して検索してみたら、こんな記事を毎日に書かれていたようです。かれこれ20年も経ちますから、わたしの印象はもっと若かったのですが。あたりまえですね。
──「投壜(とうびん)通信」は、難破船に乗った人が沈没を前に家族や恋人へ宛てて手紙を書き、ビンに詰めて海に投じる行為を指す。ドイツ語で書いたユダヤ人詩人、パウル・ツェランは講演で、詩の本質を「いつの日にかはどこかの岸辺に流れつく」ものとして、この言葉を使って表現したという。
「著者のことば 細見和之さん 災厄のただ中で書く」『毎日新聞』2018年6月26日
ドイツ思想の専門家で、講談社からの「現代思想の冒険者たち」シリーズで『アドルノ』を書かれていました。たしかにこのシリーズも、よくある難しい思想家をわかりやすく解読するのが多いなか、これはご自身の文章として物語っておられ、たんなる難解な思想家を「知ったかぶりができるための本」ではない、凄い読み応えがある、とても勉強させてもらった本でした。いまでもわたしの本棚に並んでいます。
わたしは、ということで、とりわけこのドイツはフランクフルト学派の、アドルノはじめ究極的にはヴァルター・ベンヤミンという人の影響を決定的に受けているのですが、絵や歌にもよくこのことが起こります。
この細見さんの著書でいえば、「ドナドナ」という歌をご存じの方は多いと思いますが、あの少しもの悲しげな曲での「ドナドナ」は、連れ去られていく子牛の泣き声として歌われているものの、じつは強制収容所に連行されるユダヤ人たちの「おお神よ」というフレーズだそうで。
自分の普通に暮らしている毎日半径五メートルでも、いろいろ注意深く眺めてみれば、いろいろな歴史や世界と出会っているはずだという、わたしにとってとても貴重な教えを頂きました。
僭越ならがわたしの経験で言えば、ずっと暮らしていたグァテマラのマヤ系先住民村落、サン・ペドロ・ラ・ラグーナ村から何気なく買って帰国していた一枚の絵もそれでした。この絵にあることをみつけたのが、15年かけてつくった拙著のはじまりでした。
そして、このグァテマラ先住民の絵は、最近知ったのですが、どうやら岐阜県にある自家焙煎のコーヒー豆販売店にも一枚「投壜通信」として流れ着いていたみたいで、しかもその「壜」には、わたしの本までどうやら入っていたみたいです。
モノ書きやってると、こういうことがあるからやめられないんですよね。
いまは岩手県の「奥中山」という戦後開拓地を舞台にして本を書いています。今度は、コーヒーじゃなくて、大豆です。
最近、オリンピックで世間が騒いでいましたが、ひとつ前のオリンピックの時、盛り上がる横浜の喧噪を横目に、横浜港から南米アルゼンチンへと向かう舟に乗った人たちが、密かに懐に隠し持っていた一袋の大豆です。
岩手県は盛岡市から車で国道四号線を一時間ほど北上した山間に、ポッツリと「奥中山」ってところがあるんですが、岩手の人だって知ってはいても多分行ったことないんじゃないでしょうか。
何の変哲もない山奥に潜む集落です。
ここで戦後はじまった大豆栽培をたどっていって、南米はパラグアイの「岩手村」というところが後半の舞台です。
主人公は、戸籍はおろか墓跡だってわからないような、戦後この誰も知らない集落から南米のこれまた日本ではほとんど馴染みのないパラグアイという国へと移住していった人たちです。
それだけに2013年に、都内の某出版社から「一年くらいで書いてもらえれば」と頂いたオファーなんですが、あまりにもチンタラしていて、もはやお詫びのしようもありません。
でも頑張って今年(度)中には初稿を書き上げようと思っています。
少しは皆さんの興味を惹けたらいいな。
先住民の素朴画のお話しは、この店主さんがブログで書かれておられて、そちらにリスペクトを込めてリンクを貼っておきました。