谷尾英雄の○○日記!

60代の鳥取の男性です。なかなか体験できないことを、自分が経験したので、多くの人に知ってもらおうとブログをはじめました。

59 「子どものころ 2」

2013-05-16 05:23:28 | 日記
昭和29年の4月13日の朝日新聞に 「『耐乏』強いられる小学生」という記事が載っている。

この年「大量の1年生」が入学してきた。

このため全国の小学校は、先生も教室もみんな足りなくなった。その困惑ぶりを伝えているのだ。



当時文部省の最低基準は1教室50人だったが、鳥取で最高77人になるなど70人学級も現れた。

栃木の宇都宮では「前列の生徒は先生のハナのアナをのぞきながら勉強」で、

姿勢が悪くなるから1週間ごとに席を変えた。

裁縫(さいほう)室や職員室、果ては校長室まで教室を明け渡された。


今の恵まれた学校からは信じられない光景である。


面白いことに、当時の249名の醇風小学校卒業生の名前を見ると、

男子が139名で、女子が110名である。

何が面白いかかというと、女子の名前に 『 子 』のつく人が

なんと 110名のうち84名である。

4人に3人が  『 子 』 という字がついている。

そして、簡単にみんな読めるのです。



時代の流れは・・・・・.