谷尾英雄の○○日記!

60代の鳥取の男性です。なかなか体験できないことを、自分が経験したので、多くの人に知ってもらおうとブログをはじめました。

348 「駟馳山」

2014-04-08 09:35:39 | 日記
駟馳山(しちやま)バイパスが先月開通した。

岩美町本庄と福部町湯山を結ぶ駟馳山峠越え

駟馳山峠の冬場の難所が解決された。難所というのは、


国道9号線のこの峠は、冬場の凍結により、交通事故がよくあったところ。

私も二年間、岩美南小学校に通勤に利用したが、大きなトレーラーが横転したり

民家に突っ込んだりして、事故により通行止めで困ったことが時々あった。


この日はドライブを兼ねて昼食を食べに隣の兵庫県に。


但馬牛の味を堪能しました。

347 「鳳凰堂」

2014-04-07 08:14:49 | 日記
世界遺産・平等院(京都府宇治市)で

、鳳凰(ほうおう)堂の修理のため一昨年11月に屋根から取り外されていた一対の鳳凰(複製)が、

金色の輝きをまとって戻ってきた。24日、帰還を祝う法要が開かれた。

修理は3月でほぼ終わり、平等院は4月3日、

鳳凰堂の拝観を1年半ぶりに再開する。

 鳳凰堂創建時(1053年)に作られたとされる実物の鳳凰(国宝)は金色だった。

しかし、年月を経て青銅色となり、傷みを防ぐため1968年に銅でできた複製に替えられていた。

 今回の修理で鳳凰堂の柱などを平安時代の色に塗り直すのにあわせ、

複製に金箔(きんぱく)が施された。高さは約1メートル。

本物は、平等院内のミュージアム鳳翔館で展示している。

 平等院の神居文彰住職は「より平安のイメージに近くなったと思う。

この金色には、まだまだがんばらなくては、と思える何かがあります」と話した。


346 [イチローのバット]

2014-04-05 05:50:19 | 日記
イチロー、松井秀喜、落合博満らのバットを手がけ「名人」と呼ばれた

ミズノテクニクス社の久保田五十一(いそかず)さん(70)が28日、

岐阜県養老町の同社で「引退報告会」を行った。

 久保田さんは引退決意の心境を「本人にしか分からない」と話した

4月で71歳。「闘争心がなくなった。丸くなったと言うか、甘くなったんだ」。

社内最高の技術職「プロバットマイスター」。匠(たくみ)の技が光るが「年数でなく熱いハートが物を言う」

妥協を許さぬ名人は自らその座を降りる。

 数年前、後輩に引き継ぐ意思を伝えると、

イチローは「それは大変ですね。作り手が変わればバットも変わる」と漏らした。

継承は難しいが「数年かけてバトンタッチできた」と肩の荷を下ろした。

最後の実演。削ったのは、イチローのバットだった。

345 「いぶたま」

2014-04-04 06:41:31 | 日記

指宿のたまて箱は、鹿児島中央と指宿を1時間足らずで結ぶ、

指宿枕崎線の観光列車(特急)で、九州新幹線の全線開通とともに誕生しました。





土日しか走らない観光列車が多い中、指宿のたまて箱は、毎日の定期運転、

特に、観光の季節には、1日3往復運転されます。

略称は、「いぶたま」、ローマ字で、「IBUTAMA」と表記されます。

2両編成、全車指定席、定員60名。


344 「用瀬の流しびな」

2014-04-03 06:31:58 | 日記
用瀬(もちがせ)の流しびな”は旧暦の三月三日のひなまつり、

男女一対の紙雛を桟俵にのせ、菱餅や桃の小枝を添えて、

災厄を託して千代川(せんだいがわ)に流します。

無病息災で1年間幸せに生活できますように願う情緒豊かな民俗行事です。

昭和60年、県無形民俗文化財に“もちがせの雛送り”として指定されています。

もともと物忌みの行事で、紙などで人形(ひとがた)を作り、

これで体をなで、災いをその人形(ひとがた)にうつして川や海に流す行事から生まれた風習です。

この行事がいつの頃から始められたのか、文献等の記録が少なく定かでありませんが、

「源氏物語」に源氏の君が祓いをして人形(ひとがた)を舟に乗せ、須磨の海へ流すという著述があり、

雛流しそのものの原型は、遠く平安時代にさかのぼるといわれています