身の回りの出来事

よもやま話(雑談)

松竹大歌舞伎

2011-09-23 20:42:56 | 身近な出来事

今年も扶桑文化会館に 歌舞伎  松竹大歌舞伎の公演を観劇しました
 
片岡仁左衛門氏から、片岡秀太郎、片岡孝太郎、、坂東竹三郎、坂東薪車、市川高麗蔵、坂東彌十郎 片岡愛之助氏まで、勢ぞろいです

『雨の五郎』の舞踊、片岡愛之助の 
春雨の降る夜、蛇の目の傘をさした曽我五郎が、大磯の遊女化粧坂の少将からの恋文を手にして
、廓へ向かっている、 艶やかで豪快な立ち廻りの舞踊

「 義経千本桜」
片岡仁左衛門氏が演じるろくでなしの権太小悪党の権太ですが、愛嬌も持ち合わせ
最後には善人に立ち返る物語
、最初は笑ってばかりでしたが
、最後はあまりに壮絶で現代には理解できない
義理人情?親孝行の物語

イヤホンガイドで見どころの説明をお受け
物語の中に入り込み時間のたつのを忘れました


           
物語の中に出てきた源氏の鎌倉方の梶原景時 
この地方にもゆかりのある武将です

羽黒の市民文化会館のそばにある公園磨墨塚は


源頼朝の愛馬で、頼朝から梶原景時へ与えられたこの名馬磨墨を葬った地といわれています。

頼朝の死後、幕府の内紛により、景時は鎌倉から追放され京に逃れる折、その息子、景季、景高等肉親、郎党

とともに、ことごとく悲惨な最期を遂げました。この時景高の一子豊丸は幼少で乳母お隅の方の手にあったそ

うです。羽黒にゆかりのあるお隅の方は、豊丸を守り総勢十余人で磨墨を伴ってこの地に落ち延びて来ました

。そして豊丸は羽黒の地で成人して、梶原景親を名乗り、羽黒城を築城したといわれています。その後、お隅

の方は亡くなり、磨墨も時を同じくして亡くなりました。なお、梶原一族の墓2基は興禅寺にあります。