ぼーずが20代の真ん中を少し過ぎた頃、週3~4回研究所でラグビーをやっていた。会社チームと言っても、体育会として公認されているだけで、仕事中に練習出来る訳ではない。そーゆー恵まれたクラブは製作所にしかなかった。当時グランドは和光市にある研究所の中や、和光駅前の協力メーカーさんのものを借りていた。
終わってから、よくみんなで飯を食いに行ったのがこの店だった。当時は部員も多く、20人前後が一緒に飯を食える所は限られていた。ここの大テーブル2卓を使えばそれが可能だったのだ。今もさして持たないが、当時も金が無かった我々のほとんどはおかずにご飯の大盛り、軽いセットものを頼むのは女子マネくらいだった。
彼女達がセットのコーヒーを飲み終えるや否や、お代りの声がかかる。注がれたカップは何故か30cm程移動する。その内カップは時計廻りに大テーブルを一周した。いくらなんでもこの厚かましいルール違反に気付かない訳は無いのだが、店員は怒りもせずコーヒーのお代わりを注いでくれた。
この店は別なコトでも有名だった。当時、車の雑誌は今より多かったと思うが、新車のスクープが速くて正確なのは総合誌のGOROという雑誌だった。当時ウチで開発中の3気筒バイクが2気筒になるという記事が出た時、研究所ではまだ試作車を作る前だった。『嘘つけ』記事を読んで疑ったぼーずの所に2気筒の図面が回ってきたのはその数日後だった。
雑誌に、和光市のとあるファミレスに一日いれば、ホンダの新車開発状況が判ると書かれたのはまさにこの頃だったと思う。口が軽かったと言うよりは、商品に対する思いが強かったのだと思う。車やバイクのあるべき姿を話し合っていて、つい大声になったのかもしれないが、外部で機密の話をする言い訳にはならんなぁ。
もっとも、この思い出深いDが閉店と聞いて寂しいと思うのは年寄り連中だけだろう。かく言うぼーずも、ここで車談義をしなくなって随分になるし、若い連中が集まっているのも見なくなった。職場の近くで仕事の話をするなんてのは、若い人達にとって野暮の極みなのだろう。
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