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行きて帰りし物語(本編その2)

マスコミはいわき市を一くくりで報道しているが、面積は東京23区の2倍という広い都市なので被害状態にはかなりの差がある。誤解の無いように書くが叔母夫妻を連れに行った理由だが、放射能と言うより叔父の健康問題とそれから来る叔母の負担が心配だったからだ。

叔父の腎臓疾患と歩行困難状態の為、何かあっても避難できない。なんせ分速20mである(叔父貴、これ読んでないだろうな)。20mサークル走をやればハイハイの孫に間違いなく2回は抜かされる。

叔母夫婦の住んでいるのは津波の被害にあった小名浜だが、電気、ガス、道路は問題ない。困っているのは水が来ない。幸い近所の方が井戸水を運んで下さっているが、スーパーや店頭にものは無く、老夫婦が暮らしていくには限界だと思った。

ガソリン不足はひどい状態で、閉まったスタンド先に長蛇の列が出来ている。エンジンは切っているので都内のように燃料を消費しながら待つという愚挙ではないが、開店まで待つのは大変だと思う。反面そのおかげで緊急車両がスイスイ流れるのが皮肉である。

帰りはいわき中央から常磐高速道路を通行することが出来たが、最寄りのいわき勿来から入る。避難者特例で高速代は不要と言われた。さすがに無料は三郷までで、避難場所までは無理だった。道路状況が悪いため50Km制限がかかっているが、若干のうねりこそあれ、危険な段差は皆無だった。壊滅状態だった神戸の道路を思い出し舗装路の有難さを思い知る。

特別通行部(いわき中央~水戸)間、少なくともいわき勿来以降、SAのスタンドは閉まっていた。まだまだ燃料は余裕だったが安全を期して、帰りは水戸の先にある友部SAでガス補給をした。↓ミゴトに4列で並んだ給油待ちの車。2時間並んでやはり2千円分の14リッターしかもらえん。トホホである。



↓ 仕事を終えた自衛隊のコンボイ。御苦労様でした。老夫婦を都内の親戚に預け、車を従妹の嫁ぎ先に返す。そこからバイクで自宅に戻ったのが22:00PMだった。なんとセブンイレブンより働いてしまった。疲れているので『今は24時間営業やんけ』という突っ込みは勘弁して欲しい。

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