日本の植物学の父と言われる牧野富太郎の名を冠した1989年版の植物図鑑にチガヤという多年草の説明がある。一部を要約、補強すると「春に伸びるチガヤの花穂(かすい)をツバナといい、子供たちはガムのようにかんだり食べたりする」となる。地方によって時期が違うが、春のごく短い期間以外は花穂がかたくなり、食用には適さない。そしてもちろん、道端の野草を口に入れるこの習慣は既に過去のものだ。都会育ちの人々はツバナの存在そのものを知らないだろう。だが、ツバナはかって広く愛されたようだ。中国地方や東海地方など各地で呼び名が相当違うが、取材で会った福島県の被災地住民はツバナと言っていた。地方出身の団塊の世代あたりなら、ほのかに甘いツバナの味を覚えている人も多いのではないか。高度経済成長期以前の子供たちの生活に触れたのは、アマ玉もガムもなかったけれど元気いっぱいで、野山でアケビやクリ、グミ、野いちごなどを探し、時には幼い子たちに分け与えた彼らに好印象を抱いているからだ。そしてツバナはシイの実拾いと同様、だれでも簡単に楽しむことができる。地域の子供の伝承だったのか、さらに太古の昔からの採集本能なのか分からないが、大自然とつながっていた子供の文化がおそらく絶えてしまったのは惜しい気がする。だからといって元通りにはできない。だれかあのころの「田舎の子供の遊び」を絵本にでもしてくれないものか。ひよっとすると、もうどこかにあるかもしれないないが。(2014.3.24.毎日新聞余禄)この記事にあるツバナは、私が子供の頃確か「ツンバネ」と言って、田んぼの行き帰り土手に生えてるのを食べた覚えがある。60年以上も昔の記憶がよみがえり、今は亡き父や母のことが偲ばれた。