2015年12月13日 毎日新聞
新・心のサプリ 海原 純子(日本医大特任教授)
診療していて気になる、とても頻度の高い悩みがある。それは、「自分が好きになれないで困っているんです」というものである。
自分のことが大好き、 という人がいるかどうかとなると疑問だが、 最近は「自分のことを好きになろう」 というタイトルで組まれた 雑誌の特集などを目にするくらいだから、自分の嫌なところやダメなところを日々気にしている多くの人にとっては、好きにならなくてはいけないような義務感に追いつめられているように思う。
たとえ自分のことをダメだなぁと思っていても、身体を守るために食事をし、寒い日には冷えないように装い、 生活を維持できるように仕事をしているのなら、まずは自分を放棄していないのだし、それでいいのではないか、くらいの柔軟な姿勢でいる方がストレスにならない。
自分の嫌な部分は強く感じるものだし、 そうしたことにに気づく人は嫌な部分をのりこえる力を持った人である。
さて私自身大事にしているのは、自分を好きだ嫌いだということではなく、「これでいい」と、いう感覚である。
だいぶ前、休日の昼下がり、オープンカフェに座ってお茶を飲んでいた時、陽射しををうけた看板に樹々の葉が風で小さな影をつくって揺れているのをみて、 「なんときれいなんだろう」と感じた。その時、 「あ、これでいい」と心の奥で思ったことを覚えている。葉影が揺れるのを、 きれいと感じるゆとりに対しての「これでいい」という思いである。
またつい先日、冷たい雨が降る夜、仕事帰りの歩道に落ち葉がぬれ、街灯に照らされて光っているのが美しいなぁ、と感じた。この時も「あ、これでいい」と心の奥で思った。
「あ、これでいい」という思いは何か特別なことをしたか、人から評価されたか、収入を得たか、 という外的な条件とは全くかかわりはない。そうした外的な条件による満足は 「ああ、よかった」というものだろうが、「あ、これでいい」 はもっと内的な心の奥のものである。
無理をして自分を好きにならなくていい。 でも「これでいい」 という思いはまぎれもなく自分の心の進化の積み重ねだと思う。
「これでいい」を生活の中に増やすのが、上手に年を取ることだろう。
新・心のサプリ 海原 純子(日本医大特任教授)
診療していて気になる、とても頻度の高い悩みがある。それは、「自分が好きになれないで困っているんです」というものである。
自分のことが大好き、 という人がいるかどうかとなると疑問だが、 最近は「自分のことを好きになろう」 というタイトルで組まれた 雑誌の特集などを目にするくらいだから、自分の嫌なところやダメなところを日々気にしている多くの人にとっては、好きにならなくてはいけないような義務感に追いつめられているように思う。
たとえ自分のことをダメだなぁと思っていても、身体を守るために食事をし、寒い日には冷えないように装い、 生活を維持できるように仕事をしているのなら、まずは自分を放棄していないのだし、それでいいのではないか、くらいの柔軟な姿勢でいる方がストレスにならない。
自分の嫌な部分は強く感じるものだし、 そうしたことにに気づく人は嫌な部分をのりこえる力を持った人である。
さて私自身大事にしているのは、自分を好きだ嫌いだということではなく、「これでいい」と、いう感覚である。
だいぶ前、休日の昼下がり、オープンカフェに座ってお茶を飲んでいた時、陽射しををうけた看板に樹々の葉が風で小さな影をつくって揺れているのをみて、 「なんときれいなんだろう」と感じた。その時、 「あ、これでいい」と心の奥で思ったことを覚えている。葉影が揺れるのを、 きれいと感じるゆとりに対しての「これでいい」という思いである。
またつい先日、冷たい雨が降る夜、仕事帰りの歩道に落ち葉がぬれ、街灯に照らされて光っているのが美しいなぁ、と感じた。この時も「あ、これでいい」と心の奥で思った。
「あ、これでいい」という思いは何か特別なことをしたか、人から評価されたか、収入を得たか、 という外的な条件とは全くかかわりはない。そうした外的な条件による満足は 「ああ、よかった」というものだろうが、「あ、これでいい」 はもっと内的な心の奥のものである。
無理をして自分を好きにならなくていい。 でも「これでいい」 という思いはまぎれもなく自分の心の進化の積み重ねだと思う。
「これでいい」を生活の中に増やすのが、上手に年を取ることだろう。