姫谷焼の粘土のことが、詳細に分かってきた。
粘土のことからわかることは、姫谷焼のオーナーは誰なのかわかる。
考古学者などは、その当時福山藩は、水野藩なので、姫谷焼は水野藩の御用窯ではないかと言われている。
ところが、材料から考えると、正福寺の窯だと見て間違いないと思う。
異論はあると思うが、材料がことがわからない人には、わからないと思う。
正福寺の正式名は浄土真宗本願寺派正福寺であります。
正福寺の本山は西本願寺であります。
その当時、西本願寺は大大名の力を持っていた。
西本願寺と鍋島藩は深い関係があるので、
鍋島藩の陶工を姫谷に連れて来たと思える。
呉須の色合いも鍋島焼とそっくりである。
まだまだ言えば、姫谷焼は西本願寺の焼き物と言うべきでしょう。
詳しくは別の時に話そうと思う。