幻の姫谷焼

幻の姫谷焼を現代に再生

地名

2018-07-31 22:05:52 | 日記
姫谷焼の窯跡すぐ西側にからつざかと言う地名があります。
からつざかの上あたりに、粘土を掘ったようなところがあります。
おそらく、西日本はからつものと言うから、焼き物になる粘土が、あった場所なんでしょう。
まだ、釜屋窪とか、小屋が窪がありますが、工房があった場所とか、窯があった場所なんでしょう。

御本手茶碗

2018-07-31 20:51:23 | 日記
いよいよ、400年前の姫谷焼の御本手茶碗を再生に一歩を踏み出した。
材料を細かく粉砕して、水簸をしました。
水簸した粘土をいろいろブランドして、御本手になる陶土にします。
ろくろができる量欲しいです。
大量に作ることは不可能なので、どうしても欲しい人だけしか作れない。
毛利元康が、朝鮮から連れて帰った陶工が、御本手茶碗を作ったと思われる。

粘土の採取場所

2018-07-30 17:27:55 | 日記
姫谷焼の粘土の採取場所はおおよそ3カ所と思われる。
その粘土を作る作品に合わせて粘土をブレンドしている。
これでは考古学者がわかることはない。
粘土がわからないのに、姫谷焼を言いようがない。
粘土の採取場所がわかると、いろいろなことがわかってきた。
なぜ姫谷に窯を築いたのかわかってきた。
最大の理由は水にあります。
石を砕くのに動力としても水がいったのです。
窯跡のすぐそばに池があります。
水で水車を回して、石を砕くのです。
材料は窯跡周辺から運んだのです。

ブランド品

2018-07-29 21:56:44 | 日記
姫谷焼を一言で言うと、ブランド品である。
約400年前から、日常の焼き物を作っていない。
日常品を作っていたら、姫谷焼は現代に名前も残っていない。大量に作っていない。
一つはお金に困らなかった。もう一つは材料がたくさんなかったことによる。
江戸の初期に色絵磁器をしたのは、材料もだが、資金が相当あったと言わざるを得ない。
金がなければ、色絵磁器なんてできっこない。
姫谷焼は道楽のような焼き物です。
姫谷焼を売った話は聞いたことはない。
バックに潤沢な資金があったはずだ。

姫谷焼再生

2018-07-29 21:52:31 | 日記
約350年前に途絶えた、姫谷焼をどうにか再生ができそうです。
焼き物はもう現代では、貴重品ではないので、貴重品の焼き物に特化しなくてはならない。
姫谷焼を高級ブランド品にしなくてはならない。
材料は姫谷の材料を使わないといけないが、デザインや手間はいくらお金がかかっても最高も物を作らなくてはならない。
姫谷焼は元々は、毛利家の藩窯窯であったが、あとは浄土真宗本願寺派の仏に捧げる作品であるので、いいものしか作っていない。現代でも最高のものを作るのが、姫谷焼と思う。