私は今、保育者養成に携わっていて
「子どもの気持ちに寄り添う」みたいなことを
よく話します。
「保育原理」にしても「人間関係」にしても
いまじゃ「相手の気持ちに共感する」とか
「同じ視点に立つ」とか
子どもならば「一緒に動いてみる」とか
保護者ならば「聴く姿勢を持つ」とか
まぁそういったカウンセリングマインド
(と、教科書ではされている)
花盛りなのです。
こういった耳当たりのいい言葉たちに酔いしれて、
わかったような気持ちになって、
自らの口から発するのは、
やはり抵抗があって…。
「気持ちのいい」言葉たちなので、
扱いは慎重にしなくちゃと
常々思っているわけです。
「とりあえず受容」
「広い気持ちでかたちだけでも聴く」というように、
技術としてのみ行われてしまったらと思うと
怖い…のです。
うまく言えないけど。
もっと自然に、そして誠実に、
相手のことが好きだから聞きたい、
わかりたい…保育では、そうであってほしいと
思うからなのでしょうか。
でもそれもやはり、難しいこと、だということも
分かっているつもりではあるのですが。
そのカウンセリングマインドと
たいてい同じ章に
「子どもの行動には意味がある」
みたいなことも書かれています。
目に見える行動のウラには
目に見えない子どもの思いがあるのだと。
それを読み取ってこそプロだ、みたいな。
先日、娘がカーテンにマジックで線を書いてしまったんです。
娘は「しまった!」と思ったのでしょう、
「ママ、カーテンに、マジックが!」と
すぐに伝えてきました。
それを見て夫と私は大きな声で「あ~!」と
声をあげ、
娘はおお泣きしました。
夫は「もうマジックは使っちゃダメ!」といい、
私は「でも正直に言えてえらかった、わざとじゃないもんね」と。
頭に血がのぼりながら、
こういう対応をできた私に、
私は一瞬酔っちゃうわけです。
ワザと書いたわけではない
やってしまった結果は悪いと思っている
やってしまったことを正直に伝える
伝えたことは偉い
でも結果として、カーテンに線が残ってしまったので
「注意できないならばカーテンの近くではマジックは使わない、
マジックはテーブルで使う」という約束までをし、
「私って完璧!」と。
私は自分に酔うわけです。
それを見ていた夫も、おそらくきっと、
○○(私)はさすがだと
思っていたのではないかと思うのですが(笑)
でも娘はいつまでもいつまでも泣きます。
カーテンのほうに行ったのは
パパに手紙を書きたかったから、
パパから見えないことろで書きたかったから、
パパのお誕生日だから。
ようやく泣き止んで、
娘が話しました。
子どもの気持ちに寄り添う、とは
つまりここをきちんと汲み取ることなんです。
子どもの行動の意味、とは
この部分なのです。
理由がどうであれ、結果が悪ければ悪で
いたずらでお皿を1枚割った子と、
お手伝いでお皿を2枚割った子とでは
結果がより悪い、お手伝いの子がいけないと答えるのが
幼児期の子どもの特徴。
大人は理由も考えてあげます。
でも大人になると、
その理由を聞く、という行為すらしないで
状況判断、マニュアル的対応…というように
しちゃうときがあるかもしれない。
あの時の私は「形だけカウンセリングマインド」のような、
そんな対応をしてしまったんだなぁ~。
なんか、考えさせられる出来事になったのでした。