僕の親父は僕が小さい頃にはもう家を開けることが多く
親父と遊んだ記憶なんて全然ない
たまに帰ってきてると思っていた男の人を
父親だと認識するのも時間がかかった
それほど父は僕に干渉しなかった
むしろ興味がなかった
父は学生の頃から海外の文化の違いや習慣の違いに興味を持ち
世界遺産や国宝などのDVDもラックにたくさん並んでいた
父は外国でホームステイしながら、旅しながら、気ままに暮らしているんだろう
それでも父は
母への仕送りと手紙だけは毎月欠かさなかった
僕に手紙が来たのは初めてだった
母への手紙に同封された現地の人との写真や景色の写真
写真の中の父しか知らない僕によくも手紙なんて送ってこれたものだ
正直読む必要性はあまり感じなかった
それでも母に言われ封を開いた
「ケイスケへ
こうしてペンを取り、お前に手紙を書く日が来るほどお前が大きくなってしまったことを実感しています。
思えばいつも家にはおれずケイスケには小さな頃から寂しい思いをさせてきたかもしれないな。
父さんは知ってる通り海外が好きで、いつか海外で職を見つけ、永住し、お前たち家族もこっちに連れてこようと思っていました。
でもなかなか思うようには事は運ばず、気づけばこんなにも月日が経ちました。
こうしてペンを取ったのは、ケイスケ。
お前の友達の陽平くんのことだ。
陽平くんが亡くなったことをお母さんから聞いて、幼馴染の友達を亡くしたお前がどれほど辛いか、考えただけで胸が締め付けられる思いだった。そして、陽平くんが残したものをお前に伝えるべきだと思った。
実は陽平くんは父さんとずっと手紙のやり取りをしてた。
それは陽平くんも海外が好きで父さんに憧れを抱いていてくれたからだ。
そして、家族をこっちに連れて来たいと話すと、自分も一緒にケイスケと海外で働きたいと、言語、習慣や食文化、聞きたいことをまとめては手紙をくれた。その度に陽平くんはお前のことを自分のことのように伝えてくれていたから、父さんはお前のことを知ってた。だから結果的にお前と関わることが少なくなったのも事実だけどな。
そして、何が言いたいかというと。
陽平くんの意思を継いで、こっちに来ないかという話だ。
お前は何かを造作したりするのが好きだから、父さん今勤めてるところのコネで、歴史的財産の修復作業員の見習い募集を見つけたんだ。
言語は父さんも居るから少しずつ覚えればいいと思う。
やりたいことが他にあるなら無理に強要はしない。
お前のことはお前が決めればいい。
ただ亡くした友の為に意思を継ぐのも悪くはないと思うんだ。
また返事を聞かせてくれないか。
母さんも後からこっちに来ることになるから、母さんのことは心配要らない。
青木圭吾
僕は陽平と父さんが手紙のやり取りをしていたことも
陽平の夢のことも知らなかった
そして陽平のことを深く尊敬した
先を見据え
夢に向かって努力をして
僕は迷わずペンを取り
「行きます
と一言だけ書いて返信用封筒にいれ
母に渡した
「あゆ美ちゃんのことはいいの?
「そっちはちゃんとケジメつけるから
「そう…
「母さん…ありがとう。
母は黙ったまま微笑んだ
そして僕は
あゆ美にいつもの通り
会いに行った
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