友人が、児童文学の同人誌に徳永怒(とくながゆき)をモデルにフィクションを書いていた。
明治期、徳永怒は、新宿鮫が橋界隈の貧民窟の子どもたちのたちへ救済活動と教育活動を献身的に行った人だという。
それで、この本を思い出して、本棚から取り出すと、再読も実に面白く興味深く、改めて読み耽ってしまった。
私は、かつて樋口一葉の『たけくらべ』の評論を書くにあたり、『たけくらべ』の四章に美登利の遊び友だち三五郞を記して「去年は仁和賀の臺引きに出しより、友達いやしがりて萬年町の呼名今に殘れども」という行が、とても気になり、その"友だちいやしがりて萬年町"が持つ意味について調べるために、読んだ本の一冊がこれである。
この著者塩見鮮一郎は、実に沢山、東京の貧民街について著述しており、どれも興味深く読んだ。
鮫が橋は、鏡花や荷風が、その街の有り様を記している。
鏡花は、「人の容るる家と謂はむより、寧ろ死骸を葬る棺と云うべし」(『貧民倶楽部』)と綴り、荷風は、「人間の生活には草や木が天然から受ける恵みにさえ与れないのかとそぞろ悲惨の色を増すのである』(『日和下駄』)と綴る。
私が子どもの頃、『アリの町のマリア』という映画を見た。
北原玲子というキリスト教信者の女性が、やはり隅田川言問橋あたりの貧民街で、救貧活動をする様を描いた映画だった。
因みに、徳永怒もキリスト教の信者である。
ヨーロッパを旅すると、現在は洒落たアパートメントになっているが、昔は救貧院だったという建造物が、よくある。
近世までヨーロッパの貴族たちは、慈善事業と称して、貧なる人たちへの施しを行うことを、貴族としての役目と思っていたらしい。
北原玲子や徳永怒は、どうだったのか。
この女性たちの心のありように、興味を抱く。
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