「新鮮さ好評、都心の日曜朝市 広島」
「やられた!」という感覚と「やった!」という感覚で少し興奮した。
広島に朝市が欲しい、朝市を作りたいと4年前位から思っていた。広島県や中国経済産業局の方と会う機会を得たときには、この話をいつもしていた。半年ほど前に実験的な朝市が行われているのを見て、「これはいける!」とほぼ確信めいたものを持った。
「やられた!」と思ったのは私自身が結局何も行動をおこせなかったこと。そして「やった!」と思ったのは私の感覚が正しかったことについてだ。
7年前にヨーロッパに駐在していたころ仕事やプライベートで多くの都市をおとずれた。そして私がいつも立寄るのがその街の朝市だった。
ヨーロッパの街には必ずといっていいほど朝市がある。朝市では野菜、肉、魚、果物などの生鮮品を中心にその地域の特産品がたくさん売られている。朝市を眺めるとその土地に住む人々が普段何を食べているのかが見えてくるとともに、その都市の物価もだいたいわかる。
朝市には季節感もある。そこで売られているものの殆どはその季節の産品。売られているものから季節感を感じ、それ以外にも朝市に立つ軽食屋の屋台の商品からも季節感を感じることができる。
さらに朝市では普段の生活が見えるのも良い。朝市に着飾ってでかけてくる人は少ないから、その土地に住んでいる人が普段どんなものを着ているのかも見える。そこでの会話、たとえ言葉がわからなくても感覚的に人間のつながり方を感じとることができる。
ヨーロッパから日本に帰ってくると日本の良さ、そのなかでも便利さについて強く感じる。大きなスーパーがあちこちにあり、それらは夜遅くまで空いている。24時間開いているスーパーもあり、1日中欲しいものが手に入る。
しかし、はっきりいってスーパーでものを買うのはとてもつまらない。少し極端な言い方だが、朝買い物にいっても、夜買い物に行っても、夏買い物にいっても冬買い物に行ってもほとんど代わり映えしない。陳列やディスプレィで季節感の演出をしているところも多いが、見せ掛けの演出という感じを受ける。
朝市のような季節感、それは朝市で売られている生鮮品であったり屋台の軽食であったり、さらには屋外の温度や香りであったり、そういったものから感じられる季節感には特別なものがある。これは屋内のスーパーでは決して真似はできない。
さらに、朝市には人と人とのつながりがある。調理法を尋ねたり、どれが美味しそうか尋ねたり、少し値切ってみたりサービスしてもらったり。
このような人と人とのつながりは、朝市ではなくても以前は街のあちこちの商店でみられた。それがスーパーマーケットを中心とした大規模店舗の影響を受け、淘汰されていき、このような人と人のつながりが街から消えていっている。
便利なスーパーの数が増えるごとに、その土地の特色がなくなり、人と人とのつながりを少なくし街をつまらなくしている。
広島の朝市がこれからどうなるのかはわからないが、朝市はやり方次第では絶対に成功するし規模を大きくすることができる。ざっくり言うとショッピングセンターにあるテナットミックスやマーケティングミックス、イベント等の要素を持ち込む。
アイデアはあるのだが、行動が伴わないのが本当に困ったものだ。
(写真は南仏エクサンプロヴァンスの夏の朝市)
「やられた!」という感覚と「やった!」という感覚で少し興奮した。
広島に朝市が欲しい、朝市を作りたいと4年前位から思っていた。広島県や中国経済産業局の方と会う機会を得たときには、この話をいつもしていた。半年ほど前に実験的な朝市が行われているのを見て、「これはいける!」とほぼ確信めいたものを持った。
「やられた!」と思ったのは私自身が結局何も行動をおこせなかったこと。そして「やった!」と思ったのは私の感覚が正しかったことについてだ。
7年前にヨーロッパに駐在していたころ仕事やプライベートで多くの都市をおとずれた。そして私がいつも立寄るのがその街の朝市だった。
ヨーロッパの街には必ずといっていいほど朝市がある。朝市では野菜、肉、魚、果物などの生鮮品を中心にその地域の特産品がたくさん売られている。朝市を眺めるとその土地に住む人々が普段何を食べているのかが見えてくるとともに、その都市の物価もだいたいわかる。
朝市には季節感もある。そこで売られているものの殆どはその季節の産品。売られているものから季節感を感じ、それ以外にも朝市に立つ軽食屋の屋台の商品からも季節感を感じることができる。
さらに朝市では普段の生活が見えるのも良い。朝市に着飾ってでかけてくる人は少ないから、その土地に住んでいる人が普段どんなものを着ているのかも見える。そこでの会話、たとえ言葉がわからなくても感覚的に人間のつながり方を感じとることができる。
ヨーロッパから日本に帰ってくると日本の良さ、そのなかでも便利さについて強く感じる。大きなスーパーがあちこちにあり、それらは夜遅くまで空いている。24時間開いているスーパーもあり、1日中欲しいものが手に入る。
しかし、はっきりいってスーパーでものを買うのはとてもつまらない。少し極端な言い方だが、朝買い物にいっても、夜買い物に行っても、夏買い物にいっても冬買い物に行ってもほとんど代わり映えしない。陳列やディスプレィで季節感の演出をしているところも多いが、見せ掛けの演出という感じを受ける。
朝市のような季節感、それは朝市で売られている生鮮品であったり屋台の軽食であったり、さらには屋外の温度や香りであったり、そういったものから感じられる季節感には特別なものがある。これは屋内のスーパーでは決して真似はできない。
さらに、朝市には人と人とのつながりがある。調理法を尋ねたり、どれが美味しそうか尋ねたり、少し値切ってみたりサービスしてもらったり。
このような人と人とのつながりは、朝市ではなくても以前は街のあちこちの商店でみられた。それがスーパーマーケットを中心とした大規模店舗の影響を受け、淘汰されていき、このような人と人のつながりが街から消えていっている。
便利なスーパーの数が増えるごとに、その土地の特色がなくなり、人と人とのつながりを少なくし街をつまらなくしている。
広島の朝市がこれからどうなるのかはわからないが、朝市はやり方次第では絶対に成功するし規模を大きくすることができる。ざっくり言うとショッピングセンターにあるテナットミックスやマーケティングミックス、イベント等の要素を持ち込む。
アイデアはあるのだが、行動が伴わないのが本当に困ったものだ。
(写真は南仏エクサンプロヴァンスの夏の朝市)