チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

赤提灯会

2005-04-15 23:05:47 | 異業種交流会
 今晩の赤提灯会には新たなメンバーが5人加わった。この会の中心的なメンバーである平井さんがユニークなせいか、お店の『いざわさん』がユニークなせいか、赤提灯会にはユニークなメンバーが次々と集まってくる。

 「類は類を呼ぶ」という言葉のとおりだ。

 ただし、同じようなユニークさではなく、多様性のあるメンバーが集まっているところがこの赤提灯会のいいところ。このメンバーからはいつも多くの刺激を受ける。

 エンジニアリング的な話もたくさん聞かせてもらう機会があるため、この赤提灯会にでることで、技術思考の一端を理解できるようになった。技術思考は相当奥が深そうだからこれからもたくさん学ばせてもらいたい。

 一方で私が何を提供できているのかなと考えた。専門領域があるようで無い私は、ここでは皆が関心を持って聞けるような話はできていないかもしれない。

 赤提灯会は、そもそも気楽なおしゃべりの会だから、あまり気にする必要はないかもしれないが、やはりもっと専門性を高める必要をあらためて感じた。

90:10のルール

2005-04-14 23:14:51 | 覚えておきたい考え
 「怒りをぶつけられた人が、怒りの原因になっているのは10%に過ぎない。怒りの90%の原因は別にある」という話を聞いたことがある。これを『90:10のルール』というらしい。

 簡単に言えば怒りの殆どは八つ当たりや、ストレスの発散。

 中国で起きているデモもこれと同じだろう。でも日本車を見れば攻撃を加えたり、日本料理店を攻撃するというような行為は行き過ぎだと思う。これは八つ当たりを過ぎて犯罪行為だ。実際にはデモに参加した人の多くがこのように思っており、またデモとは関係のない多くの中国国民がそう思っているだろうと私は思いたい。

 12億人を超える人口がいればそこにはいろんな人がいるだろう。日本よりも多様性に富む国だから、そこでの問題は多種多様だろう。そしてたとえ話を聞いても日本人には理解できないことも多くあると思う。

 でも外から見ていてはわからないことだらけ。中国の状況も日本にいては判らないことも多くあると思う。中国に行ってみたい。中国を感じてみたい。

家で飲む

2005-04-13 23:58:34 | 好きな場所好きな時間
 予定していた飲み会が中止になったため、会社帰りにワインを買って一人で飲んだ。フルボトルでは量が多すぎると考え最近はハーフボトルを買うことが多いが、今日はフルボトル。

 カベルネ・ソーヴィニヨン品種を使ったチリ産の¥1,280のワイン。今日はなんとなくフルボディの気分だったが、近所のスーパーには手ごろなものがなく結局ミディアムボディになった。

 ただ、味は予想外に美味しくて満足。1杯目からおいしく飲め、どんどんワインが進んでいく。
 
 つまみは、夕食のおかずと『にんにくのしそかつお漬け』。

 『にんにくのしそかつお漬け』はワインにピッタリとは言いがたいが、その風味がワインを進ませる。そして食べるにつれ元気になっていく感覚もある。

 食事の最後は『いかなご釘煮のお茶漬け』。飲みにいけなかったのは残念だが、家での飲みもたまにはいい。

教えることは学ぶこと

2005-04-12 23:27:40 | 気づき
 「人に教える機会を持つことは、自分自身が学ぶ上でとても有効な機会になる」ということを昨日、今日とあらためて実感した。

 今回は、新入社員を対象とした研修の講師。170人を前にして話すのはとてもいい経験になる。

 昨年に引き続いての経験だが緊張していないと言えば嘘になる。でも心地よい緊張感で、ワクワクした感覚がある。

 同じ内容を1度ではなく2度できるというのも大変いい。1度目に上手くいったこと上手くいかなかったことを2回目にいかせる。といっても私の場合は1度目に向けての努力も2度目に向けての努力も少し足りない。

 今回一緒に講師を務めるエバタさんやヨッシーはとても頑張った。エバタさんは原稿を丸暗記するくらいまで頭に入れている。それに刺激を受けたヨッシーも2度目では、原稿を見ずに話していた。
これまで何度も見てきた、人が話をするのを聞いてきた内容だが、あらためて自分が話をするためにたいへんな勉強をしたようだ。教えることは学ぶことだ。これがとても大切だ。

 他にも、プレゼンテーションについて私自身学びがあった。プレゼンテーションの上手い下手はその内容そのものや技術で決まる部分も大きいが、プレゼンテーションする人の気持ちも大切だ。
自分に自信を持つとともに謙虚な気持ちを同時に持つ。自分の熱い気持ちを伝えたいという思いと、相手に理解してもらえるやり方(声の大きさ、抑揚、速度、口調)を考える。他にもいろいろあると思うが、こんなバランスが大事だと今回あらためて感じた。

2人の女性

2005-04-11 23:22:35 | 大切な人
 「人は簡単には変わらないが必ず変わることができる。」

 「人が変わるきっかけにはいろいろあるが、人は人を変えることはできない。人が変えることができるのは自分自身だけ。」

 「自分自身におきる変化は、誰かによって変化させられたのではなく、自分自身が変化を受け入れたことでおきているもの。」

 何かの本で読んだのか、誰かから聞いた話かは忘れたが、これは私の頭の中にある人の変化についての考え方だ。以前の私は人を変えよう変えようとしていた。今でもその傾向はないわけではないが、私自身が意識して考えを変えてきたように思う。

 私の身近にいる2人の女性は、どんどん素晴らしい女性になっていっている。意識して自分自身を変えているように感じる。何がきっかけだったのかは知らないが、何かでスイッチが入った。

 話すことが変わり、それに伴い行動が変わり、周囲に対する影響力も変わっている。そうすると周囲からの反応も変わってくる。良いサイクルがまわり出す。

 2人の女性がどこまで素晴らしくなるのか楽しみだ。

 私も負けてはいられない。

満開の桜

2005-04-10 23:57:42 | 何気ない時間
 「満開の桜をみせてあげて!」と言われて犬2匹と自宅の裏山に花見に行った。

 この山は桜の名所で、この時期は花見客目当ての食べ物やの屋台がたったり、夜桜見物をする人のためのちょうちんなどが設置され、少し華やいだ雰囲気になっている。

 以前は朝早くからシートを広げて場所取りにいったものだが、最近はそんなに多くの人はこないようだ。お昼時にいったが、場所はいくらでも空いている。

 花見がそれほど大切な行事ではなくなったのかもしれない。私自身も以前はこの時期「花見だ、花見だ」と騒ぎ、花見をしないと損した気持ちになったものだが、今年は花見に行っていない。

 今日も花見というよりは犬と一緒に桜が咲いている山の散歩。

 犬は桜を見て何か感じただろうか。でも、一年のこの短い時期にしか咲かない桜だから、犬であってもその姿を見てもらえると、桜もうれしかもしれない。

わざと難しく作る

2005-04-09 23:23:13 | ビジネスアイデア
 機械を設計する際に、わざと難しく作ることがあるという話を聞いた。

 目的は他の人に真似をされないようにするため。構造が複雑だと、その内容を模倣すにも、構造を理解するにも簡単には行いづらいからだそうだ。

 また、オリジナルな技術であっても、経済的な恩恵が極めて大きい場合をのぞき、あえて特許申請を行わないということもあるらしい。特許を申請することで、その内容が公開されることを恐れてこのように対応する。

 技術革新が激しく、それに伴い製品ライフサイクルがますます短くなっている状況、そして模倣が比較的容易に行えるという状況を踏まえて。オリジナルな技術という立場を少しでも長期間維持することが、会社の利益につながるという時代背景が背後にある。

 わざと難しく作ることは、「ムリ、ムラ、ムダはいけない」という著名な経営者の経営哲学とは反している。それでも競争上はやむを得ない状況になっているというのは、何かがおかしい気もする。

強いチームを作る

2005-04-08 23:35:20 | リーダーシップ
 昨年12月から段階を踏んで実施してきた教育イベントも、昨日でその大きな山を越えた。

 振り返って見ると、3月中旬位から次第に余裕が出てきたものの、それまでは昨年の9月位から常に精神的にも肉体的にも付加の高い状態が続いていた。
基本的な骨格部分は前回実施したものを踏襲したが、新たに大きな取組を実施したものもあり、また細かい部分に目を向ければ殆ど全てを変更したため、たいへんな取り組みだった。

 中心となるチームメンバーも5人の内3人が新たなメンバーでスタートした。楽天的なところがある私は、心の底では「なんとかなる」と思っていたが、どれくらい失敗するか不安に思っていた部分もあった。

 結果的には、困難な状況の中でたいへんな努力をして、チームメンバーが自信の持てる取組を行い、成果を上げることができたと思っている。そしてなによりも大きな成果はこのプロセスを通じて5人のメンバーが1つのチームに成長していった。

 でも、「できることは全てやった」とはいえない。現時点で考えればまだまだもっと賢く働くことはできたと思うし、もっと成果を出せる取組もできたと思う。
ただこれは、強いチームができた現時点だからこそいえることで、スタート時点ではそうは思えなかった。一つのチームになるためには同じ思いを共有し、互いに貢献意欲が生まれるまである程度時間もかかる。

 次回はまた多くのメンバーが新たに入れ替わってこのイベントに取組むことになると思う。いかに強いチームを作るか、それを早い時点で作り上げるかが、今回以上の良い内容にするためにとても大事だと思っている。

教育に目覚める

2005-04-07 21:37:18 | 気づき
 教育に興味の無かった人間が教育の大切さを実感している。

 会社の業績が悪くなると真っ先に削られるのが教育費用。そして業績が低迷している企業が教育予算を増やすということは珍しい。まずは儲けることに専念し、儲けた後に教育費用を増やすというのが一般的なようだ。

 私の組織は少し違っていた。業績が低迷している時に、それまで実施していなかった教育、しかも多額の費用がかかる教育を始めた。この教育にはお金だけでなく時間もかかるが、トップマネジメント自らがこの教育のために自分の時間を費やすとともに、マネジメント層を巻き込み、全社員をこの研修に巻き込んだ。

 教育担当者として、とても重要な取組に携っているとの意識はあったものの、「やめてしまえ」という人が2人に1人いる状況では心の葛藤も大きく、「私は本当に正しいことをやっているのだろうか」と悩むこともしばしばであった。

 もともと私は教育には興味がなかった。教職課程をとったが、教育に興味があったわけでなく教育実習に行きたかったからだ。現在の教育部門に異動したのも、教育に興味を持ったからではなく組織に変革をおこせる機会があると思ったから。 

 でも今は少し確信めいたものがある。教育は即効性のあるものではないが、しっかりとした教育はあとでじわじわ効いてくる。大切な教育、中身のある教育を続けることが組織を変革する上でとても大切だ。

笑いの勝ちパターン

2005-04-06 20:45:24 | 大切な人
 人を楽しませることができる人は素晴らしい。

 今晩飲みに行った仲間は人を楽しませることの天才だ。みな笑いの勝ちパターンを持っている。

 筋肉系のパフォーマンスが得意なのが”ハッスルコング”。ウエイトトレーニングで鍛えた抜群の体は自転車に乗った人を軽く持ち上げるくらいの恐ろしい力がある。一目見て恐ろしいと感じる人も多いと思うが、実は「気は優しくて力持ち」の典型。鍛え上げられた筋肉、そして体をコミカルに動かすとそれだけで楽しい雰囲気ができあがる。

 ”飲んだらおばはん”は名前の通り、お酒を飲んだらおばはんになる。普段は抜群の知性派なのだが、飲むと急にベタベタの大阪のおばはんに変わる。おばはん言葉の大阪弁で、少し早口にになり声も高くなる。そして言葉の出て行く方向に手が伸びて、人の手をつかんだり、たたいたりする。とにかく明るく楽しい大阪のおばはん。

 ”しもネタキング”はしもネタが上手い。少しもいやらしさの無い笑いの取れるしもネタが得意だ。とにかく頭の回転が速いから次々と笑いのネタが出てきて、ネタがつきない。過去に聞いたネタが出てくることも多いが、演技派なので、同じネタを何度やっても必ず笑いを取る。しもネタと同じくらい、その場にいる人をネタに使うのが上手い。けなしたり馬鹿にしたりするのではなく、持ち上げるような使いかたが特に上手い。

 3人の勝ちパターンは異なるが、共通するのはサービス精神の旺盛なところと人に対する暖かい気持ち。こんな仲間と飲むのはとても楽しい。

朝型か夜型か

2005-04-05 21:12:00 | 気づき
 「私は夜型」
 「私は朝型」

 勉強や仕事をする時に夜か朝のどちらでやるのが得意かは人によって違うようだ。そして夜型か朝型のどちらになるかは朝起きるのが得意がどうかで決まっている。朝起きるのが得意な人は朝型の場合が多い。

 「考え事をする時に、夜考えると真剣になり過ぎる。朝考える方がごちゃごちゃ考えないからすっきりとした答えがでる」と話す友人もいる。
 
 私もこの考えに同意する。夜11時から考えるよりは、その分早く寝て朝5時に起きて考えた方がよい場合もある。夜はいろいろなことを考えすぎてしまったり、熱くなりすぎることあるからだ。また意識が集中しにくいこともよくある。

 「試験を受ける2時間前におきないと頭が十分に働かない」という話をよく聞く。実際朝5時に起きて考え事をする時には頭が100%活発に動いているようには感じられない。ただ、そのために逆に複雑に考えなくて済んでいる気がする。

 「人間の脳は強烈な速度で思考している。脳の中には次から次にいろいろな考えが浮かんできて消えていく」といわれている。考えていることがある程度整理され言語化されることで表出されるが、それは考えていることのほんの一部に過ぎない。脳が持つ能力のほんの一部分しか使われていないというのはよく言われていることだ。

 脳の状態は、例えば夜は400馬力のスポーツカーで日本の一般道を走っているような状態で、朝は45馬力の軽自動車で走っているような状態かもしれない。400馬力は力をもてあましストレスを感じる。走りながら違うことを考えてしまう。45馬力だとそれを全部だしきろうとする。結果的に非力な45馬力のほうがスイスイ走れるのかもしれない。

 結論としては、朝か夜かは朝起きるのが得意な人でも、使い分けがよいように思う。朝やることと、夜やることをわけて考えることがいい。

 話は変わるが、スポーツカーの話から頭に浮かんだことは、朝型、夜型の話にとどまらず、力の劣る人が、力の強い人にどのようにして対抗するかについて考えているようにも思う。
そういえば、こんなことを考えたくて、中国の古典を読もうと考えていたことを思い出した。

 これは朝読むのがよいのか、夜読むのがよいのか...

日本語を使う

2005-04-04 23:56:40 | 気づき
 2週間ほど前に見たNHKスペシャル『シリーズ 明治 プロローグ 今、「明治」に何を学ぶか』で、「明治日本は翻訳によって西洋の制度と技術を消化した。翻訳を通じて、日本文化における意味合いを考える作業を行い、このおかげで日本文化の独立を保った」という話を聞いた。

 翻訳の重要性を訴えている番組にしては、番組名にカタカナが多いことに気になった。これがカタカナが気になりだしたきっかけだった。

 「プレゼンテーションはタイミングが重要なのと同じくらい、リスナーのフィーリングにフィットするコンテンツかどうかが重要」

 カタカナ言葉多用の極端な例ではないと思う。これに近い頻度でカタカナ言葉が使われている状況を最近よく目にする。

 日本語にすると微妙なところまで表現しきれないということからか、適切な日本語が見当たらないということからか、英語をカタカナにしてそのまま使っていることが多いようだ。

 私自身も無意識のうちにカタカナ言葉を多用していたように感じる。これを反省し最近は意識してカタカナ表現ではなく日本語表現を使おうとしている。

 それで気がついたことは、カタカナ言葉で理解していつもりだったたことの中には、正確に理解していない内容が多くあるということ。

 私自身の理解のためだけでなく、私が内容を伝えていく人の理解ためにも、できるだけカタカナ言葉は使わず、日本語を使おうとあらためて感じた。

田七始める

2005-04-03 22:38:25 | 気になること
 『田七(でんしち)』という健康食品を飲み始めた。

 ウコンや高麗人参と同じウコギ科に属する田七人参、正確にはサンシチニンジンというらしいが、この人参の根の粉末が一般に「田七」と呼ばれている。

 名前の由来は、田に植えて根が育つのに七年かかることからという説が有力。
中国雲南省東南部以外では殆ど栽培が不可能で、つい最近まで金にも換え難いぐらい貴重なものとして「金不換」とよばれていた。

 田七にはサポニンが朝鮮人参によりはるかに多く(数倍~数十倍:さまざまな情報あり)含まれており、これにはコレステロールを減らす作用がある。また、ビタミンやミネラルが豊富に含まれているため、血液の健康に効果がある。具体的には、血液浄化作用等の血の流れをサラサラにする効果がある。このため結果として肝臓の活性化に役立つ。

 また、花粉症などのアレルギー症状に対する効果や免疫機能の正常化、免疫異常の予防・改善作用、ストレス防止作用もある。

 市場には、この田七のまがいものや、極めて質の低い商品が大量に出回っているらしいが、今回飲んでいる『田七』はこの田七の中でも最も質の高いもの。昨日会った先輩が信頼できる筋から正式に輸入したものをいただいたもの。

 1ヶ月飲んでみて、健康への効果を見たいと思っている。健康に気を使う年齢になってきた。

中国ビジネス

2005-04-02 23:15:41 | ビジネスアイデア
 中国ビジネスに力を入れている先輩からワクワクするような話を聞いた。
私の今の仕事がおもしろくなければ、すぐにでも「手伝いをさせて欲しい」とお願いしていたと思う。
成功する確率も高そうな気がするが、それよりもビジネスのダイナミック感、今の中国でしか味わえないようレア感がたまらない。

 この先輩と仕事をすることもとても面白いように感じている。リスクをリスクとも思わず、「チャンス」と思ったら抜群の行動力で可能性を拡げていく。何事も明るく前向きにとらえる人だから、本当は大変な苦労をしているのかもしれないが、苦労話しを聞いても悲壮感が全く無い、苦労さえも将来のかてに変えている。

 先輩が与えてくれたヒントや機会をどのように活かせるか今時点では漠然としかわかっていない。でも、今年私が起こしたい変化にどこかでつながってきそうな予感のようなものを感じる。

4月1日の決意

2005-04-01 23:51:19 | ビジネスアイデア
 4月1日が特別な意味を持つ日になったのは社会人になってから。厳密には18年前の3月31日のことだが、この日に現在の勤務先に入社した。それ以来4月1日は新しい1年のスタートの日として感じるようになった。「新年度にあたって」のような決意はないが、今日も多くの新入社員が入ってきたこともあり、身が引き締まる思いがした。

 振り返ってみれば18年もよく続いたものだと思う。入社に当たって思っていたことは海外に行きたいということそれだけ。海外の仕事がしたくて選んだ会社で、4年目から11年目まで希望がかなって海外駐在し、帰国してからは自分自身の目標のようなものを少し見失っていた。
半年くらいは海外にいたころの余韻をひきづった後、転職するか自分で仕事をはじめるにしても、またこのまま残るにしても自分自身のビジネス能力を伸ばす必要があると感じて、いろいろな能力開発に取組みはじめた。

 幸いにもいろいろな人の理解、協力や支援を得て、私自身がやりたいことを継続して取組むことができ、結果も残せたと思う。
一方でやればやるほどやりたいことが増えて行き、やりたいことに終わりはないとも感じる。今年もやりたいことがたくさんある。

 会社生活にとっても、私個人の生活にとっても大きな変化がおきそうな予感がする年、いや起こす年にしたいと思っている。 

 でも、4月1日の決意は本物感があまりないな。