いつの間にか高校3年の息子も「家庭学習期間」で、学校は何回かの登校日を残し実質終わってます。
進路も、迷った挙句、某金融機関への就職が決まりました。親としてはこれで一安心です。
今月末、野球部最後の例年の催しとして、3月の卒業を目前に3年生のお別れ試合、なんてものが予定されています。
思えば…
怒涛の野球漬けの日々から半年。
暑かったな…親も、息子も。
それが
今や息子も、バイトやら、スノボやら遊びに出かけ、用事がなければ家でDVD見てゴロゴロ…すっかりダル~い生活をしております。まあ、それはそれで充実はしているんでしょうが、変な虚脱感もあるみたいです。
親は親で、たしかに週末は楽になりました。自分の時間もいっぱい持てるようになりました。弁当作りに追われていた家内はもっと楽になったでしょうね。
でも、それとは別に野球が無くなった、って事で同じような脱力感というか燃え尽き症候群というか、そんなものも感じます。
きっと球児の親たち皆、同じようなんでしょうね。
少年野球も中学野球も高校野球もまるで急に昔の思い出になっちゃったみたいに、蚊帳の外の感じなんです。
野球は野球で相変わらず好きですが、蚊帳の外では楽しさ半減。楽しんでいる親子を見て羨ましく思う、っていうより何だか冷めた目で見ちゃいます。言葉は悪いけど、他人事っていうか入り込めない、っていうか。
何だろ、うまく言えないけど熱が冷めた、っていうか我に返った、っていうか。
そもそも、何で今までそんなに楽しかったのかな?なんて考えてます。
きっと
「野球」を通してのコミュニケーションを楽しんでいたのでしょう。
もちろん、それは野球のお付き合いを通して知り合った親同士の仲間とのコミュニケーションであったりしますが、何より一番に息子とのコミュニケーションだったんだということに気づかされます。
これから、息子も教習所に通い、免許を取って、車を買って、そして真新しいスーツで社会人の出発になるわけです。
まだまだ成人前だけどとりあえず就職したらもう一人前。社会人の先輩として対等に話ができたら…いずれは、サシで飲みに行けたらいいな、なんて月並みに思ったりします。
息子の成長、うれしかったり、寂しかったり。
自分の親もかつてそんな時期があったのかな、なんて事も考えたりします。
進路も、迷った挙句、某金融機関への就職が決まりました。親としてはこれで一安心です。
今月末、野球部最後の例年の催しとして、3月の卒業を目前に3年生のお別れ試合、なんてものが予定されています。
思えば…
怒涛の野球漬けの日々から半年。
暑かったな…親も、息子も。
それが
今や息子も、バイトやら、スノボやら遊びに出かけ、用事がなければ家でDVD見てゴロゴロ…すっかりダル~い生活をしております。まあ、それはそれで充実はしているんでしょうが、変な虚脱感もあるみたいです。
親は親で、たしかに週末は楽になりました。自分の時間もいっぱい持てるようになりました。弁当作りに追われていた家内はもっと楽になったでしょうね。
でも、それとは別に野球が無くなった、って事で同じような脱力感というか燃え尽き症候群というか、そんなものも感じます。
きっと球児の親たち皆、同じようなんでしょうね。
少年野球も中学野球も高校野球もまるで急に昔の思い出になっちゃったみたいに、蚊帳の外の感じなんです。
野球は野球で相変わらず好きですが、蚊帳の外では楽しさ半減。楽しんでいる親子を見て羨ましく思う、っていうより何だか冷めた目で見ちゃいます。言葉は悪いけど、他人事っていうか入り込めない、っていうか。
何だろ、うまく言えないけど熱が冷めた、っていうか我に返った、っていうか。
そもそも、何で今までそんなに楽しかったのかな?なんて考えてます。
きっと
「野球」を通してのコミュニケーションを楽しんでいたのでしょう。
もちろん、それは野球のお付き合いを通して知り合った親同士の仲間とのコミュニケーションであったりしますが、何より一番に息子とのコミュニケーションだったんだということに気づかされます。
これから、息子も教習所に通い、免許を取って、車を買って、そして真新しいスーツで社会人の出発になるわけです。
まだまだ成人前だけどとりあえず就職したらもう一人前。社会人の先輩として対等に話ができたら…いずれは、サシで飲みに行けたらいいな、なんて月並みに思ったりします。
息子の成長、うれしかったり、寂しかったり。
自分の親もかつてそんな時期があったのかな、なんて事も考えたりします。