明治時代ー4
尾崎紅葉 慶応3年(1867年)~ 明治36年(1903年)37歳で病死
新文学をめざして硯友社を創立、その機関誌を舞台として文壇に進出した。
代表作「金色夜叉」
大学在学中ながら読売新聞社に入社し、以後紅葉の作品の重要な発表舞台は読売新聞となる。この時期は幸田露伴とともに明治期の文壇の重鎮となり、紅露時代と呼ばれた。
1897年(明治30年)、「金色夜叉」の連載が『読売新聞』で始まる。貫一とお宮をめぐっての金と恋の物語は日清戦争後の社会を背景にしていて、これが時流と合い、大人気作となった。明治36年病死(胃癌)享年37歳であった
「金色夜叉」は映画化され、主題歌もあまりにも有名で、今でも口ずさめます。
熱海の海岸散歩する 寛一お宮のふたり連れ
ともに歩くも今日限り ともに語るも今日限り
金に目がくらんで、金持ちの男を選んだお宮に寛一が腹を立て
有名なセリフを言いながらお宮を蹴る名場面・・・
いまだに寸劇で演じられているみたいです。。
来年の今月今夜、再来年の今月今夜、
あの月を僕の涙で曇らせてみせる…
若いころ、映画を見た時代にタイムスリップしたような錯覚です・・・・(´-`).。oO
今日も見ていただいて有難うございました。
では又~~