明治時代-12
(明治・大正・昭和)
石川啄木(いしかわ たくぼく)
1886年(明治19年)~ 1912年(明治45年)岩手県に生まれる。
歌人、詩人。
代表作 「一握(いちあく)の砂」
平明な(へいめいな)言葉で実生活に根差した三行書きの短歌は、歌壇に新風を吹き込んだ。肺結核のため若くして(24歳)生涯を閉じた。
24歳、若すぎますね! もったいないです。啄木の短歌はわかりやすくて、覚えやすいです。好きな詩がたくさんあります。
東海の小島の磯の白砂に 我泣きぬれて蟹とたわむる
たはむれに母を背負いてそのあまり 軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て妻としたしむ
ふるさとの訛(なま)りなつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく
はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る
石をもて追はるがごとくふるさとを 出でしかなしみ消ゆる時なし
やはらかに柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
斎藤 茂吉(さいとう もきち)
1882年(明治15年)~1953年(昭和28年)歌人、精神科医。
伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。
第一詩集「赤光(しゃっこう)」は、近代短歌集の傑作とされている。青山脳病院の院長を務める傍ら多数の書物を著した。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて垂乳根(たらちね)の母は死にたまふなり
あかかと一本の道とほりたりたまきはるわが命なりけり
今日は暖かかったですね。
今日も見ていただいて有難うございました。
では又~~