2021年7月5日朝日新聞朝刊に「祖父に逢いに行く」が紹介されました。
比で戦死 祖父の生涯をたどる
下関の金田博美さん「祖父に逢いに行く」出版
分かっていることは、1945年フィリピンで戦死したと、ということだけ。戦地を訪ね、祖父の生涯をたどった孫が、一冊の本「祖父に逢いに行く」をまとめた。戦争は過去の話ではない、という思いを込めて。
出版したのは、下関市伊倉本町の金田博美さん(63)。祖父操さんはね太平洋戦争の激戦地となったフィリピンのルソン島で38歳で戦死した。母と妻ね5人の幼い子が残され、終戦の2年半後に執り行われた葬儀では、金田さんの父で、当時まだ15歳だった長男の忠雄さんが喪主を務めた。
2018年忠雄さんが亡くなった。その一年後、忠雄さん宛てに届いた戦没者遺族向けの新聞で、政府が主催するフィリピンへの慰霊巡拝の記事に目が留まった。忠雄さんが生前、戦地を訪れたいと願っていた事を知っていた。「おやじからの『残された宿題』かも知れない。いま自分が行かないと、じいちゃんの存在が消えてしまうと思った」
祖父のことはセピア色にあせた3枚の写真でしか知らなかった。戸籍謄本や過去帳を調べ、従軍や訓練の記録などが記載された兵籍簿も取り寄せた。兵籍簿には、生還した戦友が言い伝えた内容をつづった付箋が貼られていた。操さんがルソン島上陸後に編成された部隊に所属し、部隊が激しく戦闘したと伝わる日に亡くなったとみられることが初めて分かった。
昨年2月、政府の慰霊巡拝団に加わり、操さんの戦没地を訪れた。森の中で祭壇を設け、自身が書いた手紙を読んだ。「75年間待ち続けてくれたじいちゃんに会いに来られた」。
昨年5月、祖父に思いをはせたフィリピン訪問の記録を、地元紙で連載。「戦争を経験していない『孫』世代が感じた戦争をもっと多くの人に知ってもらえるように」と今年4月、公的資料などとともに調べた操さんの生涯を詳しく書き加え、自費出版した。
出版後、山口市の三坂神社で操さんの写真が見つかったと連絡を受けた。戦争中に出征軍人の家族が写真を奉納し「弾よけ神社」として知られた境内。長年土の中に埋められていたという写真とともに、引き取り手が見つからない一万枚以上の写真が残されていることを、本の末尾に記した。
当初、写真に映った姿しか知らなかった祖父は「友達のようにも、自分の子どものようにも感じるようになった。その祖父がどんな思いで亡くなっていったのだろうと思うと悔しくて悔しくて」。自身にも二人の孫ができ、戦争を経験していない世代の一人としてできることは何か、考えた。本はこう結んだ。
<すごく近い過去に、戦争があった。子供の頃、まわりの大人は戦争体験者で悲惨な戦争の話をしてくれた。戦争の記憶のかけらが、探せば生活の中に幾らでも残っていた>
<祖父母にあたる私たちは戦争を知らない。この国の記憶として正確に継承することが求められている>
県立図書館(山口市)や下関市内の図書館で所蔵するほか、ネツト通販のアマゾンからも購入できる。税込み1100円。問い合わせは金田さん(090・4148・8199)へ。(朝日新聞記者・太田原奈都乃)