10月8日(土)晴れ 今日は最終日だ。
9時ホテルを出る。内陸をしばらく進み、高速に乗る
。快晴だ。車内に日が差し込むと暑くてエアコンをかける。
国道12号線に入り、日本一真っ直ぐの、100年前に囚人が作ったという道を通る。
途中奈井江道の駅でカレーパンとハムチーズパンを買う。
日本一直線の道を期待していたのだが、北海道はどこをとっても道は真っすぐなので、特別にここは直線だということも感じず通過する。
札幌近くまで進み、ドライブインで生姜焼き定食とちゃんぽんを食べる。
北海道まで来てちゃんぽんとは。
ガソリンを満タンにしてレンタカーを返却。
走行前35,729キロ走行後37,597キロなので4日間で868キロ走行したことになる。
ほんとにこのフィットと別れづらく感じられる。



ほんとにいい車だった。
もう一度言うが、スバルS-4を買ったばかりだが、ほんとにアルトRSの代わりに欲しくなった。
17時ピーチ航空MM456発、19時40分福岡着。
もう一度言うが、フィットは良い車だし安心して運転できた。
事故もなく無事に帰れてよかった。
10月7日(金)曇り
ホテルサハリンを9時出発。
目の前の海の向こうに薄っすらとみえる島はサハリンなのだろう。
ホテルサハリンの名前の由来だろう。



日本最北端の宗谷岬に向かう。
両親もこの宗谷岬の記念碑の前で写真を撮っていた。同じ地に立つ。

両親はバスで来たのだろうが、私たちはレンタカーなので自由が利く。
宗谷岬記念碑の道を挟んで向かいにある展望所に車で上ると、阿蘇山のような見渡す限り草原が広がっており、所々に牧場が見える。



白い道という看板が出ていたので、行ってみる。
見晴らしの良い草原にホタテの貝殻を敷き詰めて白く見えるが、道が悪くて所々に大きな水たまりがあるので、よけて通る。
まさか宗谷岬の上に、このようなのどかな牧場があることに驚く。
ほんとに熊本の山並みハイウェイを走っている様だ。
北海道の日本海側を南下して、今夜の宿のHOTEL・NORTH・i(ホテル・ノースアイ 077-0042留萌市海運町37-12)に向かう。
海岸線には風力発電の風車がたくさん並んでいる。
そして、主を失った家が散在している。
昔、結婚して子供を育て、学校にも通わせ、四季折々の家族の時間が流れていたのであろう建物が、記憶をなくしたまま朽ち果てている。
夕方ホテルに着き、近くのコンビニで食料と飲み物を求める。
ここは男性の浴場があり、サウナと水風呂があるので助かる。
建物も新しく清潔感があり好印象だったのだが、10時消灯後、一晩隣室から物音がして何度も目を覚ます。
歩き回ったりドアを閉めたりを一晩中していた。
多分一人で部屋の中を歩き回っている音だ。今考えても気持ちが悪い。
多分人だと思う。人の方が良い。人以外だと違った意味で怖くなる。
10月6日(木)曇り 

北海道も先週までは下関と同じ25度くらい気温があったが、私たちが来る日から寒波が押し寄せ、旭山動物園では気温が13度だった。
山にあるので、吹きさらしで風が冷たい。



動物も南国育ちが多いせいか、開園直ぐなので、スイッチが入ってないのか、ぐったりしている。
徳山動物園でも同じだが、お猿が一匹雄叫びを発し、やる気モードを出していた。





少し寒かったがペンギンとアザラシのもぐもぐタイムは見られてよかった。

昼まで園内を見て回り、午後から今夜の宿泊地「ホテルサハリン」(097-0022稚内市中央1-5-5)へ向かう。
半分は高速道残り一般道のコースだ。
夕方近くになると大地に沈む夕焼けが雄大で、夕日に照らされる山々と大きな雲を朱に染める。
北海道の夕日は力強いのか、なかなか沈まないでいつまでも、夜になる前のマジックアワーが続き、景色を際立たせる。
ホテルサハリンは、家庭的で小さなビジネスホテルの感じだ。
ご飯の食べられるところを尋ねたら親切に教えてくれた。
男女の浴場もあったので旅の疲れも癒される。



何軒かお店を見て回ったが、ジンギスカンのお店があったので、北海道のジンギスカンを食べる。
柔らかくて美味しかった。9時過ぎに就寝。
10月5日(水)晴れ 8時自宅出発。福岡空港国内線前の「ミスター・パーキング」に車を駐車。

ピーチ航空11時25分MM455便発、新千歳空港13時50分着。
空港内にある「ホンダレンタリース札幌」のカウンターで申し出る。
マイクロバスでレンタカーまで移動。
簡単な申し込みと運転免許証の確認。
車はホンダ・フィットe:HEV・4WDを25,676円で借りる。
初日の宿泊地、ホテルルートインGRAND旭川駅前(070-0030旭川市宮下通8-1962-1)に向かって移動する。
ほぼ高速ばかりの運転になる。フィットについてはエコカーなので少し心配もあったが、全く稀有だった。
先ず、シートが柔らかすぎて、腰が痛くなったらとか、本格的にハイブリットを運転するので、違和感は感じないだろうか、北海道を走るには非力ではないだろうかなど、心配事はあったが、シートはしっかりしていて(今のフィットからシートを板の面でで支える芯がある)、直進安定性は高く、冬用タイヤを履いている割には静寂性も高い。
ハイブリットだが運転に全く違和感がなく、加速もよく(1500ccのエンジンに電気)、ホンダセンシングという安全装備があり、北海道には欠かせないクルーズコントロールが付いているので、すごく運転が楽だった。
前に北海道で乗ったベンツのAクラスもよかったが、それ以上に良いと感じた。
運転していてフィットが欲しくなった。
ホテルは駅前にあり。立派な作りのホテルだったが、部屋は少し狭かった。
市街地に建つホテルによくありがちな狭さだ。
でも、最上階に男女とも大浴場があり、サウナもあったが、サウナにつきものの水風呂がなかったのが少し残念。
チェックイン後、近くにラーメンを食べに行く。



旭川と言えば、味噌ラーメンのイメージなので注文すると、すごくおいしかった。おいしいということを、上手に表現できないかとも思うが、昭和40年代開業と店内に掲示してあるだけに、さすがに美味しかった。予想以上のおいしさ。

食事も終え、風呂に入り、9時には就寝。
10月19日毎日新聞朝刊
時速194キロ「なぜ過失」
危険運転罪求め2万人署名
当時19歳だった少年は法定速度60キロの県道で、独BMW社製の乗用車を時速194キロで運転。対向車線で右折しようとしていた自動車と衝突し、相手を死亡させたとされる。事故について捜査を続けた県警は、元少年の運転について「制御困難な高速度」と断定し、危険運転致死傷容疑で送検した。その後、地検は「危険運転を認定し得る証拠がなかった」として、罪名を過失運転致死に切り替えた。危険運転致死傷罪の罰則の上限は懲役20年だが、今回のケースのような過失運転致傷罪での上限は7年となる。
東京都立大の星周一教授(刑法)は、今回の事例について「制御困難とは『車がコントロールできない状態』というのが法の趣旨と考えられ、ドイツのアウトバーンを走れる設計になっている外国車なら(194キロでの走行でも)コントロールを失った状態とはいえなくなっている」と指摘。「車がコントロールを失ったことを証明する証拠がない限り、危険運転の適用は難しいのではないか」とみる。
私見・・ドイツのアウトバーンを走れる設計になっている外国車ならコントロールを失った状態ではない
日本製の車だってドイツのアウトバーンは走れる車は多いいと思うし、アウトバーンに制限速度がないといつても、どの車もむやみにしにスピードは出してないと思う。戦後の復興期ならいざ知らず、外車の方が高速の制御安定性が高いとは一概に言えないし、車種や用途、消耗、劣化を考慮しないといけない。アウトバーンを走ったことはないが、制限速度を設定しなくとも、車との長い歴史の中で、自己で車を管理できる文化が根付いているのではないだろうか。スピードを出すことは、ある程度の車でアクセルさえ踏めば猿でも(猿を例に出して申し訳ない)スピードは出せるが、危険を感じた時に止まれる速度を維持することは、スピードを出す以上に困難だと思う。

【ダイジェスト版】スズキ・アルトターボRSで台風通過後の林道を走りました。
色々な障害物が落ちていて、危険な林道に変わっていました。
林道は普通でも暗くて曲がりくねって危険が潜んでいます。
台風通過後と言えば危険度が一層高くなっています。皆さんもくれぐれもご注意を。
下記ユーチューブより覗いてみてください。👇
☆彡関係ないけど 村上春樹 ➣雑文集より
何かの手違いで無理やりに漂白されてしまったような奇妙な心持で・・
水木しげる著
「総員玉砕せよ」
水木しげるさん生誕100年。
ニュースなどで取り上げられ気になっていたので読みました。
酷いの一言です。
せめて水木さんが書いてくれたので、
こうやって読むことが出来ます。
☆彡関係ないけど 村上春樹
➣雑文集より
・僕がその時代に抱いていた水の流れるような哀しみや、あるいは息の詰まるような喜びや、愛していた人や、果たされなかった想いのようなものは・・・
スバルS-4が納車されて約1か月たちました。
普段乗っていて気が付いた、
モータージャーナリストのレビューにはない、ユーザーとしての目線でアップしました。
スバルのまじめな車づくりの一端が感じられました。
☆彡関係ないけど 村上春樹
➣スプートニックの恋
・なにかの復讐みたいにニワトリが威勢よく鳴きだす。