母が、今回の帰省は想像以上に喜んでくれた。
私と会えたことも嬉しいし、
ワンピースを手作りして着てたことがとても嬉しかったそうだ。
そして、今の私はいきいきしているそうだ。
ワンピース作りは子どもの頃、母が洋裁をしてた姿を見て覚えた。
と言ったら、とても喜んだ。
その話をして、コートを脱いでワンピース姿でクルッと回って見せると、
母は満足そうだった。
埼玉に来てからは、年に一度くらいのペースでしか会いに行けなかったけれど
母は私がどんなに取り繕っても、私が苦しんでいる時は見ててわかるらしい。
でも、いまの私はとてもいい状態に見えて、
嬉しくて眠れなかったそうだ。
親というのは、そういうものね。
何かをしてもらうことよりも、子ども自身が幸せであることが嬉しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/48/98/a67a98e145c0f93f2ecc3747a20526f2_s.jpg)
実家を片付けていたら、アルバムを見つけました。
高2のとき、サリーが文化服装学院に行きたい。と話したとき、
母も、文化服装学院だった。と喜んで言ってた。
え?熊本にある?と内心思ったけど言わなかった。
そうしたら、写真が出て来た。
東京文化服装学院連鎖校熊本県認定となっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/7a/9ca486d6a70fd88647d220e3d962b39b.jpg)
母は、都会に出たかったけど、親に出してもらえなかったそうだ。
だから、東京に行きたがる私の気持ちをわかってくれた。
離れる寂しさより、わたしの気持ちを大切にしてくれた。
母は卒業すると、洋裁は趣味として
家の酪農や畑仕事を真っ黒になって働いた。
そんな真面目な母を気に入ったのが父の母で、
息子の嫁には、真面目な娘がいいと思ったのだろう。
純情だった母は、ハンサム?な父を好きになったんだろうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/62/c16627fdf4b5dbbf231caa01a6769fe5_s.jpg)
結婚式のスナップ写真の母は、とても嬉しそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/08/0d/049c2d40d8e21ef32d28b510eb772ebe_s.jpg)
このあと、たくさん苦労するんだけどね。
でも、母が洋裁をしているのは、
いい気分転換だっただろうな。
娘がふたりなので、お揃いのワンピースを作ってくれた。
紺に白い水玉のワンピースで白い襟付きは、
母とお揃いだった。
一緒に着てお出かけするのが嬉しかった。
いろんなワンピースやパンタロンスーツなど思い出してきた。
全部覚えてると思う。
落ち着いたら、母に思い出のワンピースのことを手紙に書こうかな。
最後に作ってもらったのは中3くらいかな?
青に白いステッチがきいたちょっと大人っぽいワンピース
あれから、トレーナーなどカジュアルな服が流行り
母は、洗濯が楽でアイロンも要らないからいい。
なんて言ってたけど、少し寂しかったかな?
母の私への手作りは、成人式の振袖で終わった。
人から服を頼まれたとき、材料費しか取らなかった母
いろんな布で作らせてもらうのが嬉しくて
お金を頂くのが申し訳なかったんだろうな。
娘たちが巣立ってからは、家庭菜園を始めた。
嫌なこと忘れていられる。といった。
ちょっと切なかったな。
母は、身体が動かなくなっても、
手が使えればサリーに浴衣とか作ってあげたかったようだ。
でも、手もスプーン握るくらいしか動けない。
だから、私がサリーに洋服を作ることも喜んだ。
しかし、私はサリーに何を引き継ぐのだろうね。
また時間が経てば見えてくるんだろうね。
女はタノシイ♪
iPhoneから送信
私と会えたことも嬉しいし、
ワンピースを手作りして着てたことがとても嬉しかったそうだ。
そして、今の私はいきいきしているそうだ。
ワンピース作りは子どもの頃、母が洋裁をしてた姿を見て覚えた。
と言ったら、とても喜んだ。
その話をして、コートを脱いでワンピース姿でクルッと回って見せると、
母は満足そうだった。
埼玉に来てからは、年に一度くらいのペースでしか会いに行けなかったけれど
母は私がどんなに取り繕っても、私が苦しんでいる時は見ててわかるらしい。
でも、いまの私はとてもいい状態に見えて、
嬉しくて眠れなかったそうだ。
親というのは、そういうものね。
何かをしてもらうことよりも、子ども自身が幸せであることが嬉しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/48/98/a67a98e145c0f93f2ecc3747a20526f2_s.jpg)
実家を片付けていたら、アルバムを見つけました。
高2のとき、サリーが文化服装学院に行きたい。と話したとき、
母も、文化服装学院だった。と喜んで言ってた。
え?熊本にある?と内心思ったけど言わなかった。
そうしたら、写真が出て来た。
東京文化服装学院連鎖校熊本県認定となっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/7a/9ca486d6a70fd88647d220e3d962b39b.jpg)
母は、都会に出たかったけど、親に出してもらえなかったそうだ。
だから、東京に行きたがる私の気持ちをわかってくれた。
離れる寂しさより、わたしの気持ちを大切にしてくれた。
母は卒業すると、洋裁は趣味として
家の酪農や畑仕事を真っ黒になって働いた。
そんな真面目な母を気に入ったのが父の母で、
息子の嫁には、真面目な娘がいいと思ったのだろう。
純情だった母は、ハンサム?な父を好きになったんだろうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/62/c16627fdf4b5dbbf231caa01a6769fe5_s.jpg)
結婚式のスナップ写真の母は、とても嬉しそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/08/0d/049c2d40d8e21ef32d28b510eb772ebe_s.jpg)
このあと、たくさん苦労するんだけどね。
でも、母が洋裁をしているのは、
いい気分転換だっただろうな。
娘がふたりなので、お揃いのワンピースを作ってくれた。
紺に白い水玉のワンピースで白い襟付きは、
母とお揃いだった。
一緒に着てお出かけするのが嬉しかった。
いろんなワンピースやパンタロンスーツなど思い出してきた。
全部覚えてると思う。
落ち着いたら、母に思い出のワンピースのことを手紙に書こうかな。
最後に作ってもらったのは中3くらいかな?
青に白いステッチがきいたちょっと大人っぽいワンピース
あれから、トレーナーなどカジュアルな服が流行り
母は、洗濯が楽でアイロンも要らないからいい。
なんて言ってたけど、少し寂しかったかな?
母の私への手作りは、成人式の振袖で終わった。
人から服を頼まれたとき、材料費しか取らなかった母
いろんな布で作らせてもらうのが嬉しくて
お金を頂くのが申し訳なかったんだろうな。
娘たちが巣立ってからは、家庭菜園を始めた。
嫌なこと忘れていられる。といった。
ちょっと切なかったな。
母は、身体が動かなくなっても、
手が使えればサリーに浴衣とか作ってあげたかったようだ。
でも、手もスプーン握るくらいしか動けない。
だから、私がサリーに洋服を作ることも喜んだ。
しかし、私はサリーに何を引き継ぐのだろうね。
また時間が経てば見えてくるんだろうね。
女はタノシイ♪
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