異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」。後半はテーマの軸がずれてしまいましたが今回でラストの第10回。
最終回は幕末維新期の、日本の女性の「地位と権利」についてからの出題。
アリス・ベーコンは津田梅子の依頼で1888年6月に来日し、1年間「華族女学校教師」として教鞭を執った女性ですが、同時に彼女は「日本における女性の地位」に関して最も包括的な考察を行った人物として知られています。
以下、彼女が行った考察の抜粋です。長くなりますが、非常に興味深い内容ですのでお付き合いを。
『日本の女は幸せな少女時代を送る。但しそれは両親や兄たちのペットとしてである。しかも彼女らは子供のうちから、悲しみや怒りを隠し、常に気持ち良い態度を取ることで、周りの人々を楽しくさせるという自己抑制のマナーを徹底して仕込まれる。だが彼女の幸せは結婚とともに終る。日本ではすべての女性は結婚すべきものなのである。
彼女らの結婚生活が不幸なのは、夫と対等ではなく彼の筆頭召使いにすぎないからであるばかりか、夫の属する家へ入らねばならぬからである。彼女は生れ育った家から新しい家へ移籍する。
その新しい家には夫の両親がいる。とくに結婚生活の初期を不幸にする姑がいる。姑は彼女に家庭生活のあらゆる労苦を譲りながら、家政の実権は手放さない。両親とくに姑のテストに合格しないなら、夫からどんなに愛されていても離婚の運命が待っている。離婚は日本では異常な高率を示しているが、それは結婚が両性の精神的結合ではなく、家の支配者である両親と夫への従属的奉仕者の採用とみなされているからだ。
離婚された女は悲惨である。子どもは夫の家に奪われ、帰る先の実家では、肩身の狭い境遇が待っている。そしてまた、日本には妻妾同居の風習がある。妻は妾を歓迎せねばならないのだ。だから日本女性の美徳は徹底した忍従であり自己放棄である。もっともそのような自己犠牲の習慣から、日本女性の静かで威厳ある振舞いと、いかなる事態にも動じない自己抑制の魅力が生れているのだが。』
「妾云々」の部分を除けば、殆ど全て今日の日本における「女性解放論者」の主張するところと変わりはなく。と云うよりこの主張こそが「日本のその手の運動の全ての原点たる主張」と云えるでしょう。
もっともこれはあくまで「明治の上流家庭における結婚生活」、特に家観念の強い華族、士族出身の高級官吏、大商人や大地主の家庭におけるそれであり、しかもその絵に描いたような理念型に過ぎない例であって。
しかもよくよく考えてみると離婚の問題をとっても、彼女が紹介している一例はむしろ当時の女性の自由度を示すものとして読むことができるわけで。
実際ベーコンからして、彼女が交際している上流家庭に女中さんが、結婚のため暇を取ったものの、僅か一ヶ月余りでまたその家へ舞い戻って来たのですが、その理由はと云えば『夫は親切で気のよい人だったのです。でも姑が我慢できない人でした。私を休むひまもないくらい働かせたのです』と答え「自らの権利として」離婚を請求したそうで。これは熱心なキリスト教徒達にとって見ればとんでもない離婚原因だったことでしょう。
更に云えばこの前提条件として「夫婦間の愛情」よりも「夫婦生活に付随する諸々」を天秤に掛け、後者が前者を上回ればあっさり離婚する、なんて考え方があるわけで(勿論地域差やそれぞれの経済状態で差異は当然あったでしょうが)、要するに「男女の間の愛」の概念に根本的な差異があり、それ故に、異文化間に芽生えた愛情がすれ違うこともあったのかと。今シリーズ前半で取り上げた川田龍吉に関して、敢えてキツイ言い方をすれば「ジニーへの愛情」と「川田家」を天秤にかけた結果、龍吉は後者を取ったわけで。勿論その判断の是非を「今日的観点」で判定するのは間違いであることは云うまでもありませんが。
さてここで今回のクエスチョン。
明治初年の頃の世間噺を記録した本に載っている逸話ですが、若い頃には六千石の旗本に「御小姓として」奉公していた女性で、彼女は娘からさえ「随分変わった母でした」と云われる人物なのですが、彼女は「女友達同士で新宿によく買い物」に出かけていたそうです。さて、彼女たちは「何を」買いに行っていたのでしょうか? ヒントとして「買い物」先は「新宿」だったそうですw。
最終回は幕末維新期の、日本の女性の「地位と権利」についてからの出題。
アリス・ベーコンは津田梅子の依頼で1888年6月に来日し、1年間「華族女学校教師」として教鞭を執った女性ですが、同時に彼女は「日本における女性の地位」に関して最も包括的な考察を行った人物として知られています。
以下、彼女が行った考察の抜粋です。長くなりますが、非常に興味深い内容ですのでお付き合いを。
『日本の女は幸せな少女時代を送る。但しそれは両親や兄たちのペットとしてである。しかも彼女らは子供のうちから、悲しみや怒りを隠し、常に気持ち良い態度を取ることで、周りの人々を楽しくさせるという自己抑制のマナーを徹底して仕込まれる。だが彼女の幸せは結婚とともに終る。日本ではすべての女性は結婚すべきものなのである。
彼女らの結婚生活が不幸なのは、夫と対等ではなく彼の筆頭召使いにすぎないからであるばかりか、夫の属する家へ入らねばならぬからである。彼女は生れ育った家から新しい家へ移籍する。
その新しい家には夫の両親がいる。とくに結婚生活の初期を不幸にする姑がいる。姑は彼女に家庭生活のあらゆる労苦を譲りながら、家政の実権は手放さない。両親とくに姑のテストに合格しないなら、夫からどんなに愛されていても離婚の運命が待っている。離婚は日本では異常な高率を示しているが、それは結婚が両性の精神的結合ではなく、家の支配者である両親と夫への従属的奉仕者の採用とみなされているからだ。
離婚された女は悲惨である。子どもは夫の家に奪われ、帰る先の実家では、肩身の狭い境遇が待っている。そしてまた、日本には妻妾同居の風習がある。妻は妾を歓迎せねばならないのだ。だから日本女性の美徳は徹底した忍従であり自己放棄である。もっともそのような自己犠牲の習慣から、日本女性の静かで威厳ある振舞いと、いかなる事態にも動じない自己抑制の魅力が生れているのだが。』
「妾云々」の部分を除けば、殆ど全て今日の日本における「女性解放論者」の主張するところと変わりはなく。と云うよりこの主張こそが「日本のその手の運動の全ての原点たる主張」と云えるでしょう。
もっともこれはあくまで「明治の上流家庭における結婚生活」、特に家観念の強い華族、士族出身の高級官吏、大商人や大地主の家庭におけるそれであり、しかもその絵に描いたような理念型に過ぎない例であって。
しかもよくよく考えてみると離婚の問題をとっても、彼女が紹介している一例はむしろ当時の女性の自由度を示すものとして読むことができるわけで。
実際ベーコンからして、彼女が交際している上流家庭に女中さんが、結婚のため暇を取ったものの、僅か一ヶ月余りでまたその家へ舞い戻って来たのですが、その理由はと云えば『夫は親切で気のよい人だったのです。でも姑が我慢できない人でした。私を休むひまもないくらい働かせたのです』と答え「自らの権利として」離婚を請求したそうで。これは熱心なキリスト教徒達にとって見ればとんでもない離婚原因だったことでしょう。
更に云えばこの前提条件として「夫婦間の愛情」よりも「夫婦生活に付随する諸々」を天秤に掛け、後者が前者を上回ればあっさり離婚する、なんて考え方があるわけで(勿論地域差やそれぞれの経済状態で差異は当然あったでしょうが)、要するに「男女の間の愛」の概念に根本的な差異があり、それ故に、異文化間に芽生えた愛情がすれ違うこともあったのかと。今シリーズ前半で取り上げた川田龍吉に関して、敢えてキツイ言い方をすれば「ジニーへの愛情」と「川田家」を天秤にかけた結果、龍吉は後者を取ったわけで。勿論その判断の是非を「今日的観点」で判定するのは間違いであることは云うまでもありませんが。
さてここで今回のクエスチョン。
明治初年の頃の世間噺を記録した本に載っている逸話ですが、若い頃には六千石の旗本に「御小姓として」奉公していた女性で、彼女は娘からさえ「随分変わった母でした」と云われる人物なのですが、彼女は「女友達同士で新宿によく買い物」に出かけていたそうです。さて、彼女たちは「何を」買いに行っていたのでしょうか? ヒントとして「買い物」先は「新宿」だったそうですw。