異文化交流クイズ、フォースシーズン「14歳のアメリカ人少女の見た明治開花」第3回は、クララの勝家訪問記をメインに。
明治9年11月3日。この日は明治天皇の誕生日と云うことで祝日。その祝日を利用してクララは勝家を訪れますが、その前に手土産を買うべくまず銀座に向かいます。
銀座に建ち並ぶ建物のどの窓からも日の丸の旗が林立し、とても華やいだ光景であることが記されています。明治も9年になると、ごく自然に天皇誕生日を祝うようになっているのがこの記述だけでも分かります。
この日、クララを出迎えたのは逸子と海舟の妻のたみ。
たみ夫人は海舟メインの歴史小説や時代劇だと「気っ風のいいおかみさん」風に描かれることが通例ですが(元は芸者というのは創作)、クララの日記を読んでいても実に江戸っ子らしい、さっぱりした、かつユーモアのセンスもあった人物だと判ります。
この日もクララが被ってきた赤い花と黒のビロードの帽子を被って、おちゃらけたりしていますし、この他にもチラリと垣間見えるエピソードからも「なるほど、こういった人でなければ幕末維新期、命を狙われ続けた海舟の奥さんなんて勤まらなかったのだろう」と思わず納得させられます。
さてこの日のメインイベントは「クララとお逸の服交換」。クララがお逸の着物を、お逸がクララの洋服を着て一日を過ごす、と云うもので、女の子は洋の東西、時代の先後を問わずに、この手のイベントが大好きだったということが分かります。
お逸は特に楽しんだ様子でクララが帯を結ぶにも「これが京都風」「これが長崎風」と解説まで付いてきます。
この日の昼食は貝の吸い物、魚、海草、西洋わさびと御飯、と云うごくありふれたものでしたが、現在と違っているのは「一人分の食事がめいめい小さな丸い盆」に載せられている点。これは勝家だからと云うわけではなく、江戸の庶民も同じでした。つまり卓袱台に、全員分の食事のオカズを盛って、という現在の一般的な食事方法は明治中盤以降の習慣だったりするわけです。
食後は現在も細々とながら生き残っている「扇落とし」を。意外と雅なルールがあることも解説され、目から鱗だったりもします。その後は羽子板遊びなども続き(途中からたみ夫人が乱入し、素晴らしい腕前を披露したりするのがお茶目)、今では正月限定の珍しい遊びも、まだまだこの頃にはごく普通の日常の遊びだったことが判ります。
この後は夕食も一緒に食べ、雨のような挨拶と手土産を持たされて帰宅、とごくごく平凡ながらも楽しい一日が描かれています。
こういう「ごく当たり前の日常の一コマ」というのは、当時の日本人としては取り立てて記録して保存するものでもなかったため、かえって外国人の、しかもアメリカ少女の日常の視点からの記録は非常に貴重なものです。
そんな具合でクララは勝家に出入りするようになったのですが、翌明治10年の正月、勝家を訪れた際の記録も残されています。
母親と新年の挨拶に訪れたクララに、海舟は銀の香水箱や水晶のペンダントなどを贈られたりしていますが、この時クララは「三方」が飾られるのを目撃しています。
神様へのお供え物、という意味あいのこの風習も戦前はごく普通でしたが、現在はめっきり少なくなりました。残っていても鏡餅を据えるくらいでしょう。
さて、ここで今回のクエスチョン。
「三方」には縁起物を載せるのが一般的ですが、地域によってバラバラだったりもします。さてこの勝家の場合、一体何が三方に載っていたでしょうか?
次の中からお選びください。
1.干し魚。2.串柿。3.伊勢エビ。4.だいだい。5.かち栗。
明治9年11月3日。この日は明治天皇の誕生日と云うことで祝日。その祝日を利用してクララは勝家を訪れますが、その前に手土産を買うべくまず銀座に向かいます。
銀座に建ち並ぶ建物のどの窓からも日の丸の旗が林立し、とても華やいだ光景であることが記されています。明治も9年になると、ごく自然に天皇誕生日を祝うようになっているのがこの記述だけでも分かります。
この日、クララを出迎えたのは逸子と海舟の妻のたみ。
たみ夫人は海舟メインの歴史小説や時代劇だと「気っ風のいいおかみさん」風に描かれることが通例ですが(元は芸者というのは創作)、クララの日記を読んでいても実に江戸っ子らしい、さっぱりした、かつユーモアのセンスもあった人物だと判ります。
この日もクララが被ってきた赤い花と黒のビロードの帽子を被って、おちゃらけたりしていますし、この他にもチラリと垣間見えるエピソードからも「なるほど、こういった人でなければ幕末維新期、命を狙われ続けた海舟の奥さんなんて勤まらなかったのだろう」と思わず納得させられます。
さてこの日のメインイベントは「クララとお逸の服交換」。クララがお逸の着物を、お逸がクララの洋服を着て一日を過ごす、と云うもので、女の子は洋の東西、時代の先後を問わずに、この手のイベントが大好きだったということが分かります。
お逸は特に楽しんだ様子でクララが帯を結ぶにも「これが京都風」「これが長崎風」と解説まで付いてきます。
この日の昼食は貝の吸い物、魚、海草、西洋わさびと御飯、と云うごくありふれたものでしたが、現在と違っているのは「一人分の食事がめいめい小さな丸い盆」に載せられている点。これは勝家だからと云うわけではなく、江戸の庶民も同じでした。つまり卓袱台に、全員分の食事のオカズを盛って、という現在の一般的な食事方法は明治中盤以降の習慣だったりするわけです。
食後は現在も細々とながら生き残っている「扇落とし」を。意外と雅なルールがあることも解説され、目から鱗だったりもします。その後は羽子板遊びなども続き(途中からたみ夫人が乱入し、素晴らしい腕前を披露したりするのがお茶目)、今では正月限定の珍しい遊びも、まだまだこの頃にはごく普通の日常の遊びだったことが判ります。
この後は夕食も一緒に食べ、雨のような挨拶と手土産を持たされて帰宅、とごくごく平凡ながらも楽しい一日が描かれています。
こういう「ごく当たり前の日常の一コマ」というのは、当時の日本人としては取り立てて記録して保存するものでもなかったため、かえって外国人の、しかもアメリカ少女の日常の視点からの記録は非常に貴重なものです。
そんな具合でクララは勝家に出入りするようになったのですが、翌明治10年の正月、勝家を訪れた際の記録も残されています。
母親と新年の挨拶に訪れたクララに、海舟は銀の香水箱や水晶のペンダントなどを贈られたりしていますが、この時クララは「三方」が飾られるのを目撃しています。
神様へのお供え物、という意味あいのこの風習も戦前はごく普通でしたが、現在はめっきり少なくなりました。残っていても鏡餅を据えるくらいでしょう。
さて、ここで今回のクエスチョン。
「三方」には縁起物を載せるのが一般的ですが、地域によってバラバラだったりもします。さてこの勝家の場合、一体何が三方に載っていたでしょうか?
次の中からお選びください。
1.干し魚。2.串柿。3.伊勢エビ。4.だいだい。5.かち栗。