異文化交流クイズ、フォースシーズン「14歳のアメリカ人少女の見た明治開花」第8回は、クララと勝家の人々の交流からの出題。
まずはざっと勝家の家族構成から見ていきましょう。
奥さんは海舟メインの時代小説や時代劇では必ず大いにクローズアップされる、海舟の糟糠の妻、たみ。クララも日記中で幾度となく褒めていますが、実際ただの良妻というだけでなく、肝っ玉も据わっていたようです。たみ夫人からクララが直接聞いた話でも、幕末期、海舟不在時に屋敷に押し寄せてきた幕府の主戦派の武士とも真正面からやりあい「生きた心地がしませんでした」と云いつつも追い返したエピソードが日記にも綴られています。
それでいてクララと逸子が屋敷で遊んでいると「混ぜて混ぜて」という感じで娘たちと一緒に遊ぶ天真爛漫でお茶目なところもあったようで、なるほど、こういう人でなければ海舟の正妻は務まらなかったんだろうと思わされます。
そして海舟の子供達。
長女ゆめ、次女孝子はクララが勝家と交流を持つようになった段階で既に他家に嫁いでいたのですが、孝子は結構勝家に戻ってきており、クララの日記にもしばし登場します(ちなみにクララの日記を訳出したのは孝子の孫で、祖母の口から直接クララについては聞かされていたそうです)。
長男の小鹿もクララ来日時には自費でアナポリス海軍兵学校に留学中で、明治10年に帰国して初めて対面することになります。
しかしその頃から既に身体が弱っていたらしく、クララの日記にも療養している様子が記されており、実際明治25年、海舟より先に逝去しています。
次男の四郎は維新前に僅か12歳で亡くなっていて、たみ夫人が産んだ男の子は揃って短命でした。
では逸子を含む他の子供達はと云えば、実はたみ夫人の子供ではないのです。
三女の逸子と四女の八重(早逝)は、海舟が京都の愛人である増田いとの子で、前回取り上げた三男梅太郎は、長崎時代の愛人梶くまの子。四男の七郎はまた別の愛人小西かねの子供。
で、この他にも海舟には更に愛人がいたようで、妾さんがいてもごく普通の時代とはいえ、流石は若かりし頃の海舟の写真を見ても美男子だったが故か、本当に多彩です(笑)。
海舟を極度に尊敬していたクララですが、流石にこればかり赦せなかったようですが、日記ではあまり深く突っ込んでいません。
さて、前回の回答編でクララが「梅太郎がたみ夫人の子供でないことを知って驚いた」ことについて書きましたが、よく考えてみると、梅太郎のみならず、この時に逸子や七郎の母親についても初めて知ったが故に、驚愕していたのでしょう。実際クララの日記を読んでいると、逸子とたみ夫人が本当に仲の良いことが伝わってきますので、クララとしてはそんなこと夢にも思わなかったのかと。
という前提知識を元に、勝家とクララの交流について。
逸子との交流については今更語るまでもありません。クララが彼女の家で逸子に英語を教えていたこともあって、殆ど毎日のように会っていた時期もあったようで、言葉の壁をあっさり越えた友情を育んでいたようです。
クララは勝家に聖書について講義していくこともあり、この時の彼女の教え子は逸子の他に、梅太郎や七郎でした。そして当初からクララは四歳年下の梅太郎を、弟のように、それこそ猫可愛がっていた様子が見て取れます。
『梅太郎と七郎は一緒に座っていたが梅太郎が聡明なのに七郎は明らかに愚鈍だ。七郎が読むと、梅太郎が端から注意し、可哀想な七郎の腕をつついて、言葉をはっきり発音して上げるのだった』
『一番幼い七郎はまったくの腕白小僧でありとあらゆる悪戯をした。今まで会った日本人の男の中には、こんなにもふざけた騒々しい子はいない。林檎のような丸い薔薇色の顔をした梅太郎は非常に愉快な少年で、悪戯にかけては七郎よりもひどかった。外ではあんなに礼儀正しく控えめなこ少年達が、家では丁度私たちのようにふざけているのを見て驚いた』
『お逸と二人で一つの椅子に座って(写真を)撮って貰ったが障子の隙間から梅太郎の黒い目が悪戯っぽく覗いているので、なかなか真面目な顔をしていられなかった』
『若い男の子は本当にしようがない。(海軍省の気球実験を見に来たまま)梅太郎は今夜泊まっていったが、悪戯ばかりしていた。《私の魔術師(チャーマー)》』
『(クララの家族と一緒に博覧会に行った夜)梅太郎は泊まっていったが、我が家に彼がいるととても楽しいということが分かった』
『(クララの18歳の誕生日を祝う)とても愉快なパーティーでアイスクリームとケーキをどっさり出した。でも梅太郎はアイスクリームと一緒にパンを食べるのだと頑張った。申し分のない楽しい誕生日だった』
『(新年の挨拶をすべく)間もなく梅太郎が、つるつるに磨いた顔に、五つの紋を染め抜いた灰色と黒の着物を何枚か着て、その上に茶色の袴をきりっとつけ、真新しい下駄を履き、手袋をはめて父上の家から出てきたが、すっかり一人前の紳士のようであった』
とまあ、こんな具合に可愛がっていた少年の旅立ち前夜に、先週の回答編で紹介した「出生の秘密」を聞かされたわけで「お姉さん」としては、さぞやツボに入ったことでしょう。
そして長崎から帰ってきた後、梅太郎が日曜学校に行きたいと云うので、築地の日曜学校に向かったクララ達ですが『最初に私、次に一番背が高くて、肩幅が広くて素敵な梅太郎』という具合で、この頃には完全にもう實のお姉さんのようだったのでしょう。
もっともこの二ヶ月後。クララ一家は日本を後にしてしまいますので、クララと梅太郎の間の時が再び動き出すのは、後3年待たなくてはいけません。
さてここで今回のクエスチョン。
上で梅太郎が新年の挨拶をするシーンがありますが、その数日前のお話。勝家では大掃除が行われたのですが、その終了と共に「大名屋敷の大掃除後の奇妙な習慣」が行われることになり、危うくその対象に梅太郎がされかかります。屋敷の女中さんたちが揃いも揃って一人の若者に向かって突撃し「ある事」をするのが、この「慣習」なのですが、この「慣習」とは一体何でしょう? ヒントとしては、日本人なら誰もが知っている慣習です。
まずはざっと勝家の家族構成から見ていきましょう。
奥さんは海舟メインの時代小説や時代劇では必ず大いにクローズアップされる、海舟の糟糠の妻、たみ。クララも日記中で幾度となく褒めていますが、実際ただの良妻というだけでなく、肝っ玉も据わっていたようです。たみ夫人からクララが直接聞いた話でも、幕末期、海舟不在時に屋敷に押し寄せてきた幕府の主戦派の武士とも真正面からやりあい「生きた心地がしませんでした」と云いつつも追い返したエピソードが日記にも綴られています。
それでいてクララと逸子が屋敷で遊んでいると「混ぜて混ぜて」という感じで娘たちと一緒に遊ぶ天真爛漫でお茶目なところもあったようで、なるほど、こういう人でなければ海舟の正妻は務まらなかったんだろうと思わされます。
そして海舟の子供達。
長女ゆめ、次女孝子はクララが勝家と交流を持つようになった段階で既に他家に嫁いでいたのですが、孝子は結構勝家に戻ってきており、クララの日記にもしばし登場します(ちなみにクララの日記を訳出したのは孝子の孫で、祖母の口から直接クララについては聞かされていたそうです)。
長男の小鹿もクララ来日時には自費でアナポリス海軍兵学校に留学中で、明治10年に帰国して初めて対面することになります。
しかしその頃から既に身体が弱っていたらしく、クララの日記にも療養している様子が記されており、実際明治25年、海舟より先に逝去しています。
次男の四郎は維新前に僅か12歳で亡くなっていて、たみ夫人が産んだ男の子は揃って短命でした。
では逸子を含む他の子供達はと云えば、実はたみ夫人の子供ではないのです。
三女の逸子と四女の八重(早逝)は、海舟が京都の愛人である増田いとの子で、前回取り上げた三男梅太郎は、長崎時代の愛人梶くまの子。四男の七郎はまた別の愛人小西かねの子供。
で、この他にも海舟には更に愛人がいたようで、妾さんがいてもごく普通の時代とはいえ、流石は若かりし頃の海舟の写真を見ても美男子だったが故か、本当に多彩です(笑)。
海舟を極度に尊敬していたクララですが、流石にこればかり赦せなかったようですが、日記ではあまり深く突っ込んでいません。
さて、前回の回答編でクララが「梅太郎がたみ夫人の子供でないことを知って驚いた」ことについて書きましたが、よく考えてみると、梅太郎のみならず、この時に逸子や七郎の母親についても初めて知ったが故に、驚愕していたのでしょう。実際クララの日記を読んでいると、逸子とたみ夫人が本当に仲の良いことが伝わってきますので、クララとしてはそんなこと夢にも思わなかったのかと。
という前提知識を元に、勝家とクララの交流について。
逸子との交流については今更語るまでもありません。クララが彼女の家で逸子に英語を教えていたこともあって、殆ど毎日のように会っていた時期もあったようで、言葉の壁をあっさり越えた友情を育んでいたようです。
クララは勝家に聖書について講義していくこともあり、この時の彼女の教え子は逸子の他に、梅太郎や七郎でした。そして当初からクララは四歳年下の梅太郎を、弟のように、それこそ猫可愛がっていた様子が見て取れます。
『梅太郎と七郎は一緒に座っていたが梅太郎が聡明なのに七郎は明らかに愚鈍だ。七郎が読むと、梅太郎が端から注意し、可哀想な七郎の腕をつついて、言葉をはっきり発音して上げるのだった』
『一番幼い七郎はまったくの腕白小僧でありとあらゆる悪戯をした。今まで会った日本人の男の中には、こんなにもふざけた騒々しい子はいない。林檎のような丸い薔薇色の顔をした梅太郎は非常に愉快な少年で、悪戯にかけては七郎よりもひどかった。外ではあんなに礼儀正しく控えめなこ少年達が、家では丁度私たちのようにふざけているのを見て驚いた』
『お逸と二人で一つの椅子に座って(写真を)撮って貰ったが障子の隙間から梅太郎の黒い目が悪戯っぽく覗いているので、なかなか真面目な顔をしていられなかった』
『若い男の子は本当にしようがない。(海軍省の気球実験を見に来たまま)梅太郎は今夜泊まっていったが、悪戯ばかりしていた。《私の魔術師(チャーマー)》』
『(クララの家族と一緒に博覧会に行った夜)梅太郎は泊まっていったが、我が家に彼がいるととても楽しいということが分かった』
『(クララの18歳の誕生日を祝う)とても愉快なパーティーでアイスクリームとケーキをどっさり出した。でも梅太郎はアイスクリームと一緒にパンを食べるのだと頑張った。申し分のない楽しい誕生日だった』
『(新年の挨拶をすべく)間もなく梅太郎が、つるつるに磨いた顔に、五つの紋を染め抜いた灰色と黒の着物を何枚か着て、その上に茶色の袴をきりっとつけ、真新しい下駄を履き、手袋をはめて父上の家から出てきたが、すっかり一人前の紳士のようであった』
とまあ、こんな具合に可愛がっていた少年の旅立ち前夜に、先週の回答編で紹介した「出生の秘密」を聞かされたわけで「お姉さん」としては、さぞやツボに入ったことでしょう。
そして長崎から帰ってきた後、梅太郎が日曜学校に行きたいと云うので、築地の日曜学校に向かったクララ達ですが『最初に私、次に一番背が高くて、肩幅が広くて素敵な梅太郎』という具合で、この頃には完全にもう實のお姉さんのようだったのでしょう。
もっともこの二ヶ月後。クララ一家は日本を後にしてしまいますので、クララと梅太郎の間の時が再び動き出すのは、後3年待たなくてはいけません。
さてここで今回のクエスチョン。
上で梅太郎が新年の挨拶をするシーンがありますが、その数日前のお話。勝家では大掃除が行われたのですが、その終了と共に「大名屋敷の大掃除後の奇妙な習慣」が行われることになり、危うくその対象に梅太郎がされかかります。屋敷の女中さんたちが揃いも揃って一人の若者に向かって突撃し「ある事」をするのが、この「慣習」なのですが、この「慣習」とは一体何でしょう? ヒントとしては、日本人なら誰もが知っている慣習です。