われわれは陶酔において時間を抹殺する。
(ヘルダーリン)
どんな体験をしても、その体験が体験者にとって有意味である場合もあれば無意味になることもある。その違いは、その体験に対して心を開くかどうかにかかっている。体験に対して心を開かなければ、どんな体験もメカニカルにすませ無意味に終わらせることが出来る。
(R・シュワイカート)
覚醒時の世界の沈殿した経験は、こうして一言で言えば分解され別の方法で再構築される。自我は手持ちの経験を説明のための一貫してぴったりと統合された枠組みとして寄せ集めておく必要がなくなる。
(A・シュッツ)
人間のなす如何なることにも、トレーニングとか陶冶とかの方向が開かれていること、そしてその方向に入ることは恒に或る「かた」へ自らを限定するといふ意味を持ち、従って逸脱する自己を矯めるといふ苦痛を伴ふということ、人間の存在に本質的に含まれているさういふことがあるということ。
(西谷啓治)
ただわが身をも心をもはなちわすれて仏のいへに投げ入れて仏のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆく。
(道元)
わたしはしばらく前から、まるで玉ネギの皮を次々にむくようにわたしの全ての属性を一つまた一つと次々に自分自身から剥がすという手術を自分で施してきた。
(M・トゥルニェ)
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