タコカレ海を渡る

2010年6月より青年海外協力隊として活動中。10ヶ月のブルキナファソ生活、5カ月の日本待避生活を経て今度はマラウイへ!

3か月

2011-06-11 18:21:11 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
あれから3か月。

今日は地震発生時刻の午後2時46分に黙祷を捧げました。

私はその時間、所長室(今はボランティアのスタッフルームでもあるのです)に一人で居て所長室で一人黙祷をしましたが、ブルキナで感じた無力感だったり、実際に被災された方の声を聴いて感じる様々なことが頭をよぎりました。


地震発生から3か月後は大きな余震が起きやすい時期だとかなんとかいう話。

科学的根拠があるかどうか、私は確認していませんが「そろそろ大きいのがくるんじゃないか」という話があちこちで聞かれます。


私が毎日のようにマッサージに行っているお宅の奥様は「地震がくるとどうにも眠れない」といって、今朝は朝から大あくびを連発していました(昨晩も揺れましたからね)。


富岡町から避難してきている奥様は、自宅が原発の20キロ圏内で帰ることができません。家そのものは倒壊もせず残っているのに、帰ることもできず、何も持ち出すこともできず、借り上げ住宅の申し込みをしてその結果を待っているところです。「家が壊れた人も大変だと思うけど、家が残っているのに帰れないというのもつらい。諦めがつかない。」とこぼされていました。


南相馬市の原町区から避難してきている男性は、今後自宅に戻る予定でいるそうですが「放射能の影響がやっぱり怖い」と漏らしています。


自宅が倒壊した人、していなくても帰れない人、帰れるけどいつも放射能の危険と隣り合わせの人・・・・。いろんなケースの方がいて、それぞれ別の悩みをお持ちです。

どの悩みも「なるほど、たしかにな」と思うものです。

私は想像するしかできないけど、みんな今笑顔で話しかけてくれる裏に、大変な苦悩があるんだろうなと思うわけです。



大地震から3か月。

震災はまだまだ現在進行形です。


避難所の様子

2011-06-08 16:47:08 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
二本松での山籠りも一週間が経過。

今更ではありますが、現在の避難所としての概要を書いてみます。



避難所は一次避難所と二次避難所、それから仮設住宅・借り上げ住宅などに分類されますが、ここ二本松訓練所は二本松市内最大の一次避難所となっています。

福島県と応援にきている滋賀県職員が24時間体制で住民支援、施設運営面ではJICAが全面的に県に協力しているという状況です。

我々ボランティアは主に住民の方の健康面のサポート役。定期的に訪れる県や市の保健師・巡回医療チーム等と住民を繋ぐのもボランティアの重要な役目になっています。


一時は500名近かった避難者もだいぶ減って現在は140名(浪江町、富岡町、南相馬市の方々)。

全員に個室があたり食事も3食通常の訓練時と変わらないあたたかいものが提供されていて、みなさん一見非常に落ち着いた生活を送っておられます。




みなさんの今の関心事は避難所を出た後の生活のこと。仮設住宅の完成に伴って一時避難所は少しずつ閉鎖されていきます。

二本松訓練所も7月一杯をメドに避難所としての機能を終える予定で、次の生活への移行時期というわけです。



体に不自由があって、運動療法などの機能訓練が必要と思われる方は片手で数えられるほど。あとは希望する方にマッサージしながら、いろいろお話を伺っているというのが私の活動実態です。


本音と建て前はあるにしても、来てくれてよかったなどと言われるとやはり嬉しいもの。

避難している方々に何か役立てていればいいなぁとは思いつつ、ボランティアの本質は単なる自己満足なのかもしれないなんて思いつつ、日々奮闘しております。



先日行われたジャズコンサートの様子





福島の・・・

2011-06-07 07:49:11 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
いつもマッサージにお伺いしている70代の男性から、ありがたいお言葉。


「こんどぉ、北海道さかえってもぉ、

 こっちゃ落ち着いてぇ、おらいのとこさ あそびにこ。

 そしたらぁ、うんめぇ米、くわしてやっから。

 ただで、お土産にも持たせっからよぉー。

 うちさ来れば、ちゃーんと泊まらせてやっから、

 あそびにこぉーよ。」


 ・・・意味わかりますか?笑


福島vsブルキナ

2011-06-04 21:52:11 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
日本に場所を移してのボランティア活動。

とりあえず、福島でも元気にやってます。

インフラ面では駒ヶ根での訓練時とほぼ変わりない生活が遅れているので、ブルキナ生活からみたら、ある意味相当ハイクオリティな環境といえるのではないかと思います。



違うことといえば対象になる方。

つまり、いまだ接したことがない原発事故の被災者とかかわるわけなのですが、それに関してはそんなに気負うこともなくやれているような気がします。


だんだん住民のかたと顔なじみになって、雑談の中にお互いの生活やら性格やら垣間見えるような関係になってきて、避難してきている方の今の気持ちや生活の現状を目に・耳にすることが増えてきました。


私自身は当事者ではないし、気持ちは想像することしかできないのだけど、共感できるなぁと思うことも多いです(日本語通じるのは大きいですね。。ときどき福島弁がわからないけど)



福島県職員や応援にきている滋賀県職員、JICAのスタッフにもお世話になりながら、ボランティア@二本松はなんとか稼働している感じです。

場所はどこであっても、周りの人と一緒にならないとなんにもできないというのは変わらないらしいですね。


もうしばらく、原発近くに住んでた方々のお役に立てればなぁと思っています。

@FUKUSHIMA

2011-06-01 23:13:09 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
東京から埼玉・群馬・栃木と北上して福島県にやってきた。


この辺りは初めて踏み入れる場所だが、道中の景色はのどかな田園。

地元でいえば共和辺りの風景に近い。


昼頃到着してから、私らと入れ違いで帰るボランティアと引き継ぎしたり、一足早く来ていたボランティアと共に、ケアが必要そうな人のところをまわったりした。



ボランティアの立場でやれる事はたくさんありそう。

そんな印象を受ける。


なにしろ日本語が通じるんだから、ブルキナの5倍くらい働けなければおかしい。


でも今日お会いした中で一人、福島弁がかなりきつい方がいて、まるで外国語だった。


帰るまでに福島弁をいくつか吸収して帰りたいなぁと企んでいるが、どうかな?


いや、フランス語もやらんとね…

福島の一日はなかなか充実。

もうちょっと書きたい事があったんだけど眠気に負けた…
ゴメンナサイ

ではまた明日~

@TOKYO

2011-05-31 21:50:14 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
実に1ヵ月ぶりに東京にやってきた。

今いるのはJICA東京。

JICA東京は宿泊施設を備えていて、各国からの研修員やら関係者が泊まることができるようになっている。その一室に潜伏中だ。



いや、残念ながらブルキナに帰るとかいう話ではないのよね…。



明日からちょっくら福島県にボランティア活動に行ってくるというのが真相。




福島県二本松市には協力隊の訓練施設があり、今は避難所として機能している。

私らのように一時待避中の隊員に声がかかり、家でぼさっとしてるよりはいいだろうという事で手をあげてみた。




とはいえ、やはり気になるのは放射線の影響ね…


訓練所は原発から約65Km程の場所だが、線量は二本松市内の中でも最も低いらしい。


ボランティア活動は避難されてる方の身心のケアをメインに依頼されてるが、雑用係のつもりで何でもやるつもり。



さて、どうなることか?ボランティア@二本松!

現地入りしたらまた更新しますね。

キケンジの効能。

2011-05-31 08:49:18 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
先日、このブログに登場したキケンジなる人物(↓)



一輪車で日本縦断中の彼が小樽を通過するというので会いに行ってきたという話を書いた。



そうしたら。

なんとオランダのアムステルダムに住んでいるというキケンジ氏の友人の方から連絡がきた。

私のブログを一からぜーんぶ読み倒したというから、それだけでも彼女のパワーを感じずにはいられない。



そんな彼女が自身のブログに私のことをつづってくださっている。

自称、関西のオバハンというが、語り口とパワーは若者顔負けなり。。

こういうパワフルな人、いいですね~。

気になる方はコチラ↓から、飛んでみてほしい。

 欧州斬り込み隊長的タコカレ紹介。



ちなみに。

実はすでにリンク(@ブックマーク)が張られたことに気がついてた人、相当鋭い。





音楽いろいろ

2011-05-30 12:38:22 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
先日とあるお店で食事をしているとき、お店のBGMが最初から最後までビートルズの曲だった。

その場には父もいて、二人してフンフンとハナ歌がとびだす。

「いや~最初から最後まで知らない曲がないね~!」と食事もさることがら、BGMに大変満足して帰ってきたのだった。



これからまたブルキナに戻ったときに聴けるように自分のPCにビートルズをいれておこう!と思って家のCDをあさっていると偶然スウィングジャズのCDを見つけた。

高校時代ブラスバンドで演奏した曲なんかも混じっているそのオムニバスアルバム。

これも入れとこ~♪ということで、現在その作業中。




ビートルズは中学生の時に学校中で大ブーム。個人的には幼稚園の時から聴いていた記憶がある。

スウィングジャズはやっぱりブラスバンドをやってた影響が大きいのかな。。



そういえば、先日ブルキナ同期隊員に会ったとき、youtubeからダウンロードしたというブルキナミュージックを頂いた。

その一つがコレ↓




音楽はもちろん、なんとも微妙なこの映像のクオリティとか、踊りの感じ、衣装、背景の街並み・・・

いかにもブルキナっぽい。




音楽を聴くと、その音楽がかかっていた状況も一緒に思い出すことが多い。

ブルキナミュージックを聴くとブルキナのマキ(居酒屋みたいなところ)を思い出して、みんな元気にしてるんだろうか?と懐かしくなったりする。



音楽いいな~と改めて感じたところで・・・久々にギターでもいじくってみようかしら。









蔵書点検。

2011-05-29 20:58:24 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
小さいころから読書は好きで、中学生の時などは昼休み毎図書室に通ったものだ。

読書熱が高まっているときとそうでないときがあり、時間的にはそうでないときの方が長いんじゃないかと思う。

それでも読書熱が高まると無性に本が読みたくなり、一度読みだすと周囲の物音が聞こえなくなるくらい本に没頭してしまうこともしばしば。


社会人になり一人暮らしをするようになってからの生活はつつましかったと思うが、本は割合ほしいままに買ってしまうほうだった。

それに贈り物で頂いた本も結構ある。



なんだか急に、もう一度洗いざらい読み直してみようという気になった。



というわけで、とりあえず蔵書点検をしてみることに。



文庫と新書とハードカバーの大きい本がそれぞれ3分の1くらいずつだろうか?

他に建築系の雑誌や大学時代の教科書などなど。



手始めにミヒャエル・エンデの『モモ』を読み始めている。

全部を読み直すのに一体どれだけの時間がかかるかわからないが(それにそうしている間にも本は増えるだろうしな)・・・。

まぁぼちぼちとやっていってみよう。



キケンジ≠危険人物

2011-05-26 20:05:05 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
私の友人のなかで一番の変わり者は間違いなくこの人、と自信を持って推奨できる人物が小樽を通過するというので会ってきた。

彼は一週間ほど前に宗谷岬を出発し、ただいま日本縦断旅行の真っ最中。

実にこんな様子で移動している。よく見てみてほしい↓↓









・・・??

そう。一輪車で日本縦断という、私にとっては前代未聞の一人旅真っただ中なのだ。

どう考えても怪しい。怪しすぎる。


琵琶湖一周なんぞ朝飯前。
ということにしておこう。結構大変そうだった印象であるが・・・



なんとアイスランド一周もやってのけてしまった。

ここまで来ると怪しいを超えて、ギネス記録でも目指してほしい勢いである。

ちなみに、アイスランド一輪車の旅の詳細は彼のHP(キケンジ苑)から見ることができるので、興味ある方はぜひ。
いや興味ない人も見ておくと何かいいことがあるかもしれない


個人的には「バイクギター日本一周Tシャツ旅」の旅記録が気に入っている。

ぱっと見、どこからどうみても変人というのは疑いようないと思うのだが、この旅記録は彼の繊細な心優しい部分が垣間見える作品に仕上がっている(と思う)。
変人変人書いてるけど決してけなしているわけではないのよ。


実は、私がこうしてブログを書き続けられているのは、この旅記録を読んだ影響が少なからずあったりもするのだ。

けっこうな量があるので忙しい人にはオススメしないが、時間がある人は読んでみるのもいいかも。






いろんなシガラミにとらわれずに、まっすぐ生きてる人だなぁと思う。

やれそうでいて、実は結構難しい生き方なのでは?とも思う。

正直なところ、お世辞にも金も地位も名誉もあるとは言えない。

でもだからこそシンプルに人と人とのつながりの中で生きているというような感じがする。

こういう人は嫌いじゃない。



日本縦断だけに、これからどんどん南下していくようなので、見かけた人は怪しまずに声をかけると割と気軽に返事を返してくれるはずだ。

目印はこのザック。



わかりやすすぎる。

ちなみに、今回の日本縦断旅記録も随時ブログで更新されてるから、覗いてみるのもアリかな

写真のこと。②

2011-05-24 20:15:32 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
写真の話をブログにアップしたとたん、また写真にまつわるニュースが耳に入ってきた。

3月上旬に札幌中心部で開催された写真店の話。


中心になったのは、親を自殺で亡くしている一人の大学生。

彼の母親がなくなったのは、彼が小学6年生のとき。

お祭りのときに母親に「一緒に写真をとろう」と誘われたが、当時うつ病を患っていた母を疎ましく感じていた彼は冷たくあしらって写真を撮るのを断わってしまう。

母親が亡くなったのはその一週間ほどあとのこと。

あの時自分が一緒に写真を撮っていたら母は生きる元気をもらえたのかもしれない、と今でも後悔が残っているという。


そんな彼が中心となって、「大切な人と一緒に写っている写真」の展覧会を企画・実行した。

1500枚を超える写真が集まり、それを見に訪れた人にも温かい気持ちが生まれた写真展だったようだ。


また、そんな企画が耳に入ったらぜひ見に行ってみたいなぁと思う。

自分が小さい時のアルバムも、久々にひも解いてみようかな。

写真のこと。

2011-05-24 15:56:55 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
家の近所を歩いていたら、小さな薄い青色の蝶が飛んでた。



昨日、オホーツク海側では雪の降ったところもあったし、小樽も決して暖かい気候とは言えないけれど、蝶を見てたら少しずつ季節は動いているんだなぁって思って、ちょっぴりほっこり。



側溝のたんぽぽもキレイに咲いてた。





今朝のTVをみていたら、写真甲子園の開催地である東川町の実行委員会の人たちが、東北で被災した高校写真部の生徒たちに必要な機材を援助したというニュースをやっていた。

新しいデジタル一眼レフカメラを手にした東北の写真部員達が嬉しそうにシャッターを切っている様子が印象的だった。



私もデジタル一眼レフを購入してもうすぐ1年になるが、それ以前は写真なんてほとんど興味がなかったし、写真部ときいても聞き流す程度だったと思う。


真実を写すと書いて「写真」。

だから、同じ被写体でも幾通りにも撮れるとか、自分がこんな風に撮りたいって意図を反映させられるとか、そもそもそういう事を知らなかったしな。


ハシクレながらも、写真が気になる者として、今朝のニュースは嬉しいものだった。

ぜひ、被災した写真部の彼らには、自分たちの目に映る東北の悲しみや強さや優しさを、しっかり残してもらいたいと思う。








回顧。

2011-05-22 08:07:29 | burkinaとJAPONの狭間(多分)
今日は家に引きこもって、ほぼ一日いっぱいパソコンと向かい合っていました。

協力隊活動の一環として、ある作業をしていたのです。




実はブルキナファソにいるときに、企画していたことがありました。

それは、北海道の小学校とブルキナファソの小学校との絵画交流。




ブルキナベに対しては日本の紹介を、日本の子供たちに対してはブルキナの紹介を。

異国の同年代の子供が描いた絵を、お互い実際に手にすることで、少しでも互いの国が身近になってくれたらいいという願いを込め、同期の道産子隊員と一緒に企画していたものでした。



それが、いよいよ子供たちに絵を描いてもらおうか!というところで、この緊急帰国措置。すっかり暗礁に乗り上げてしまったのです。




ちょうどいい波にのっていたところだっただけに、かなり凹んだ我ら。

でも、そこは気持ちを切り替え、日本にいる今だからこそできることを模索することにしました。



今日の引きこもり作業は、次へのステップ作業だったわけです。



やりながら、ブルキナのことを思い出したり、マンゴーが食べたくなったり。

ブルキナのお友達や仕事仲間、患者さんたちは元気にしてるんだろうか?



ガランゴを発つ朝に、ジュリエン氏と新しくRBCAHの職員になったばかりの2人と撮った一枚。

ちょっと前に電話で話したジュリエン氏は

「俺、村まわりに行く前にセンターでも患者診て、すんごい忙しくて手がまわらんよ。 はやく帰ってこいよ。」・・・と。



はて、そんな日はいつになるのでしょうか??