私は農家の生まれである。
父は農家の長男であり、日本橋蛎殻町生まれの母がどういう馴れ初めでF市のど田舎の農家に嫁いだのか今となってはわからない。
こういうことは両親が存命のうちに聞いておくべきだったが、そういうことは聞かないのが家の雰囲気だったのでしかたがない。いずれにせよ兄と私、そして妹を産んで育ててくれたので感謝の念しかない。
父には兄弟が3人いて、父は長兄、次男と三男は養子に出た。妹は隣村に嫁いでいった。
父と兄弟の関係はいいのか悪いのか今でもわからないままだ。
ただ今も存命の妹(叔母さん)は父を慕っていたようで、父がなくなってからもたびたび母の元を訪ねてくれて、母もいい話し相手ができてよい関係かできていた。
私が市内の幼稚園に入る頃に父は農業に見切りをつけ街で仕事を見つけた。
それが市内の映画館の映写技師だった、母も技術を覚え同じ職業についていた。
昭和30年代は映画全盛期で、娯楽の中心に映画鑑賞があった。まだテレビが普及し始めた頃なので両親はその時流に乗ったのだが、その栄華も長く続かなかった。
映画館が潰れて両親は新たな仕事を見つけて家族を養った。