小学校時の算数、そして中学校以降の数学とあまり得意意識がなかったのですが自然と理系の方に進路を進めていましたがどうも苦手意識があったのは事実です。ただ下手の横好きというものなのか嫌いではなかった不思議な存在が数学です。 独立研究者である森田真生さんの紡ぐ数学の営みの新たな風景を切りひらく試みが展開されたのがこの本です。
数学は計算機(コンピュータ)として世の中に大きな貢献をして世界を変えついにはAIを生み出すに至ったわけですがその根本に根差した数学は人間の知の意欲から生まれたものであり、「身体を乗り越える意志のないところに、数学はない」「身体のないところに数学はない」というのが 筆者の主張でその対比として「心」と「機械」をつなぐ手がかりとして数理論理学の世界に入って行ったアラン・チューリングさんと、自己を深く掘り下げていくよすがとして数学と向き合った岡潔さんが最後に取り上げられています。 AIもあくまで人間が理論を構築しているからこそ成り立っていることを考えるとAIが人を超えるというのが難しいことがわかります。
体と頭というのはやや独立したモノのようにもとらえられなくもないのですが筆者の言うように脳の中だけを見ていても、あるいは身体の動きだけを見ていても、そこに数学はない。脳を媒体とした身体と環境の間の微妙な動きが、数学的志向を実現している」 という言葉が簡潔にこの本のエッセンスを表しているように思いました。
個人的にはあまり明るくなかった数学の歴史:数字は紀元前3300年前、シュメール人によって粘土板に刻まれた絵文字からはじまって、ギリシャ、インド、アラビアを経由してわれわれが学校で学ぶ西欧の近代数学に至る旅をすることが出来たのは貴重でした。こういった背景も数学を学ぶ上で知っておいても良いことかとは思いますし、そもそもの起源を知れば日本人が大好きな理系文系のくくりがあまり意味のないものであることがわかるように思います。
「アリになった数学者」脇阪克二・絵 森田真生・文 から、[What is the No.1]の示唆を受けた?
数の言葉⦅自然数⦆を〈今の世の把握〉から飛翔して『HHNI眺望』で捉える自然数の絵本が、見つかります。
「もろはのつるぎ」(有田川町ウエブライブラリー)
⦅自然数⦆には、『計量構造を【π】と【1】』
『正則構造』(計算できる)
『意味構造』(形態空間(ニッ
チ)で[カタチ]と数の言葉
⦅自然数⦆との繋がりを掴む)
が、スービタイズしていると観たい。
十進法の自然数の基の西洋数学の成果の6つのシェーマ(符号)と数の言葉⦅自然数⦆の[無矛盾性]は、
カオス ⇔ コスモス
のようだ。
この「替え歌」は、
〈カオスを知らない子供たち〉