Takekida's log

千里の道も一歩から

仏像の顔

2013-11-02 15:08:56 | Training
3連休です。特に予定はないですが天気もパッとしない様子です。つくばマラソンは今月末の予定。

仏像の顔――形と表情をよむ (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店


大きな宗教の派閥としてキリスト教、イスラム教、仏教とあると思いますが進行の仕方というのが三者三様というのはいまさらながら面白いところです。キリストは絶対神であり、その姿そのものを信仰します。イスラム教は絶対神はあるものの形としてあらわすことは禁止。仏教と言えばお釈迦様が目に浮かびますが悟りを開いたという点では先に行っているのですが自分自身が神というよりも悟りを開くための教えが宗教になっているわけで神という存在ではないわけです。(特に小乗仏教)で仏像というのはそういう点からいうと信仰のためにはあるのですが釈迦の死後500年余りはそういったものが創られなかったこともあり、表現がさまざまであるというのは面白いところです。
民族による表現の違いだけでなく日本に特化していえば日本に仏像が伝えられた飛鳥時代から鎌倉時代にいたるだけでも表現の変遷はご存じの通り。

仏像はあまり普段見にするものではないですがパッと見たときに気になるのは全身のバランスと顔です。もともとは信仰の対象だった仏像が美術品に近い形で扱われたのは明治時代になってからとのこと。数年前に自分も阿修羅像を見に行ったことを思い出します。顔学?の分野からすると印象を決めているのは顔の輪郭と内部のパーツの大きさと位置、顔面筋で表現される表情とのこと。当たり前と思うのかもしれませんが男性らしさは骨格的な特徴で女性らしさは唇や眉といった化粧でもある程度修正の効く部分が左右しているとのことで仏像の顔に対してもそれらが女性っぽさ、男性っぽさを決めているようです。ただ神の姿を表現するという意味から超人的な意味合いを込めるようになったとのことで特に以下のパーツに特徴があるとのこと。

眼…悟りを開くための半眼の眼、美しさを表す杏仁形の目
口…微笑のスマイルカーブである仰月形の唇
表情…古拙の微笑

また眼に関しても蒙古襞があって一重のスタイルが主流です。これは仏像が大陸からやってきたことやもともと作られた時期に主流だったのはいわゆる弥生人顔の大陸系の人だったからでしょう。

その他、阿修羅で見られるような多顔や千手観音というような超人的な姿が表現されることがあります。
個人的にも仏像は好きな美術品の一つで前述の興福寺阿修羅や東大寺金剛力士像、中宮寺の半跏思惟像など美しいものの一つだと思います。
横浜にいたときは良く鎌倉の大仏を見に自転車を乗りに出かけてましたが…
これからも仏像の顔に注目して鑑賞していこうと思います。

鎌倉大仏胎内にて
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3 Comments

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阿修羅 (まっつん)
2013-11-03 20:57:26
高崎には白衣観音像があります。ただ、観光名所が少ないので、観音様見たあとは路頭に迷いますが。。。

阿修羅像は私も好きです。阿修羅は顔が切り替わったというのがわかるけど、人間は一つの顔ですべて表現しなければならないので、顔だけでなく、雰囲気や身振り手振りを駆使することが表現者として必要だと感じています。
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Unknown (たけきだ)
2013-11-04 22:23:07
高崎の方は行ったことがまだありません。そういえば仙台、北中山にある観音様も白衣観音ですね。高崎のが41mということなので仙台のは100mで2倍以上です。結局一度も行きませんでしたが今思うと貴重な存在です。

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観音 (まっつん)
2013-11-05 19:13:37
100mとは大きいですね!高崎の観音様でも相当大きく感じます。
仙台にいたのに、行ってないところ・・・相当ありますね。今いけば、楽天の熱気を感じられるのでしょうね。
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