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今日は、中国山西省大同市の黄土高原で緑化協力をつづけているNGO
緑の地球ネットワーク(GEN)

の公開講演会に参加した報告をします


実際に中国での活動体験を話してくださいました。

牧草や伐採のため、はげ山になった土地に緑を育てるための植林活動。
植林木は、広葉樹や現地の植物が育たないため、松のみを植栽。
シラカンバも植育中(実験段階)
大阪市立大の植物園は、はげ山につくった経験を真似て、はげ山に植物園を作ろうと考えている(高低差400M)

10年前は2~3mだったけれど、樹高20mに成長した植物も。
日本より乾燥しているため、腐葉土の成長が早い

地元の植物が好きな方も一緒に、このプロジェクトに携わっている。
この地域は世界大戦時に日本軍による強奪が行われたため、日本に対しての不信感が根強く残っている。
そんな土地で日本のプロジェクトに加わった方が、『植物園づくりに携われて嬉しい』と涙を流して言ってくれた

そのため、私自身、植林活動に疑問を持っていたのですが、高見さんのお話を聞いて、植林を行うことは、緑を戻すだけでなく人の心まで動かせるものだと改めて感じました。
昔、読んだ「木を植えた男」という本を思い出しました。
変に頭でっかちになってしまっていた自分を反省しました。
大切なことは、緑を戻したい

間違っても、想いのある方のその思いを折ってしまってはいけない。

日経新聞に30年ほどいて、現在、産経新聞にいらっしゃる山本氏からは、中国の現状と将来についてのお話でした。

中国の深刻化する環境問題に対して活動している日本人を紹介したい

環境プロジェクトはたくさんあるが、組織での対応や期間限定の活動が多く、実際に活動した当事者がなかなかみつからないなど、苦労した。
日本のODAの援助は当初はダム建設などインフラ関係が多く、日本が援助しているにも関わらず中国政府が公にしなかったため、日本の環境協力を誰も知らず、日本の協力は顔が見えないといわれ続けた。
そのため、中国の日本に対する意識の変化も見られなかった。
しかし、高見さんは、反対で、人と人との付き合いの中で、継続的な活動をおこなった。
10年、15年という息の長い活動が成果をもたらせた。
高見さんの土臭さがよく、その活動に協力する方も癒され、原稿を書くことにも力が入った。
チベット問題や餃子問題がとりあげられている時期に記事になったが、他の社員や仲間からは好評であった。

中国は胡 錦濤(こ きんとう)政権に入ってから、循環型経済への移管がみられる。
90年代からのインフラを中心をした発展により発生した大気や水汚染に対して
2005年から5カ年計画で対応している。
昨年あたりからエネルギーの効率化も図られるようになってきた。
環境問題にも力を入れだした。
日本で環境省ができたように、中国でも環境対応の省庁ができた。

中国経済そのものが、大きな転換期に来ている
後進国から、急成長を遂げている。
人民元の価値が上がってきているため、中国の人件費がアップし、輸出が減少しだした。
人件費の安さが売りの企業が倒産しだしている。

中国経済は10年サイクルで動くと言われている。
3年から5~8年は上昇するが、その後、下降する。
70年代も78年、79年は下降した。
80年代も、89年ごろに物不足になり、89年天安門事件が発生した。
90年代も後半は落ち込んだ。
そのため、2000年代後半である現在は、下降に向かうだろう。
世界の金融危機とアメリカの問題もあるが、もともと持っていた中国の問題も関係がある。
内在的なものにアメリカのサプライズ問題が合わさってしまったため、中国にとって大変な時期になる。
株は、上海総合株価指数が1/3に下落。
アメリカの住宅価格の下落から、中国も不動産バブルの崩壊。
北京・上海も新築が売れないためマンションの値下げが始まっている。
不良債権の大量発生が中国にも起きる可能性がある。
循環経済促進法が2008年8月に制定された。
環境重視のエネルギー効率がよい経済に発展が望ましいが、環境意識の低下が懸念されている。


むずかしい。。。
環境問題は国が成長しているときは、儲け主義に走り端に追いやられ、国の成長が止まれば、国民の生活のため対応している余力がなくなる。
結局、端に追いやられるんですね

今だけ見れば、それでいいのですが、将来を考えたら

科学が進歩したからと言って人もそれと一緒に進歩するわけじゅないですからね。。。

報道ステーションのコメンテーターをされている加藤氏が、オリンピックから見えた中国の現状を話して下さいました。

オリンピック期間中に18日間、終了後、1か月半後に訪問。
18年間、北京に通った日本の教授が
『こんなきれいな青空を初めてみた

と言った。
80年代半ばに世界の都市において、空気の悪さワースト都市26のうち16が中国の都市であった。もちろん北京も入っていた。
90年代末からオリンピック開催のため“青空プロジェクト

オリンピックおよびパラリンピック期間中は、火力発電や工事の操業に規制が行われた。
そのため、北京に来ていた出稼ぎを地元に返した。
また、2か月間の交通規制中は、交通量が3割減少。
ナンバープレートの末尾が偶数か奇数かで走行できる日が決められた。
中国の車両販売台数は、年間300万台で、1日平均1000台の新車登録がされている。
車両保持数が1000万台の大台にのるのでは

しかしながら、9月は前月比を減少させた。
交通量規制は、一般市民には好評であったため、新交通費規制が始まった。
ナンバープレートの末尾で走行曜日の規制がある。
つまり月曜日は1,6の車はダメ 火曜日は2,7がダメ、・・・・
規制が続けば、自動車の販売台数が抑えられ、大気汚染の面からはよいこと。

“北京にとってオリンピックは成人式であった”
成人式とは、中国の場合は18歳で祝う節目である。
18歳は、まだ背丈が伸びる時期。
中国は、ここ30年で平均9.1%という高度成長をおこなった。
しかしながら、身長や手足のみが伸びて、知能や精神がが成長していないような不均衡な成長をしている。
今後は、量的成長ではなく、質的成長が求められている。
成人式といわれる意図の裏には、公害の頻発、貧富の格差、成長のゆがみがある。
中国政府にとっては、北京オリンピックは大成功であった。
規模的にも施設の巨大さも地上最大のオリンピックであった。
1万6千人の選手・役員、3万人の外国ジャーナリストが北京に詰め掛けた。
この外国人ジャーナリストの数は、今までの来中総数より多いのではないだろうか。
記者会見でのロゲン会長への質問

Q北京オリンピックの遺産は?
A中国が世界にさらされ、世界が中国を知り、中国は世界を知った。
世界からの注目が集まった故に、見せたくないものも見せてしまった。
3月のチベット問題・1月の寒波・5月の震災・貧富の格差・情報の統制・環境破壊

でも、中国は世界の目にさらされることで、今後、よい風に変わっていくことを望みますが、決して中国の国民性・文化性は失われないことは必要です。

なるほど
