土地はまだ原生林状態です。
1994年(47歳)登記時の地目は「山林」でしたが、いつの間にか…地目が『原野』に変更されていました。
おそらくは、杉や松などの植林以外は「山林」として認めない方針か定義の地目を、お役人が定めたのではないかと思います。
①農園入口・・・国道103号沿い ②林内(7229㎡)・・・縦断歩道
①②写真のように林内遊歩道は作りましたが、私には「山林」に見えます!太い木は幹の直径が60cmもあり、私のチェンソーで切るのはとても困難です。(2012年6月撮影)
樹木は・・・アカシア(ハリエンジュ)、ダケカンバ、白樺、ナラ、ブナ、山桜、オオデマリなどです。しかし、この19年の間に盗掘も甚だしく、白花の園芸種で大事に育てていた花木を農園に移植したところ、一番先に盗まれたことはショックでした!盗賊はトラックにショベルローダーを積んできて、自然石や苗木を根こそぎ掘っていくようで、林内のあちこちに無残にも大きな窪みが残っています。
可哀そうなのは、ヤマブドウです。 太さ5cmにもなる蔓が大木にからみ付いて、鈴なりに実っているブドウの採り方は、ひどいものです。 山刀で蔓を切断し、樹上から蔓ごとブドウを引きづり落とし、蔓ごと荷台に積んで跡形もなく盗み去って行くのです。
残っているのは…折れた小枝や葉っぱが散乱し、ヤマブドウの切られた蔓が泣きながら立っているだけなんです。
盗みは・・・極力証拠を残さない「シンプルさと時間が勝負」の、見本のような手口です。
そして、今まで盗まれたもので最大の激怒フレーズは・・・2007年?だったか、北京五輪の数年前から鉄の盗難が相次いだ頃、土地の通路に停めて置いた看板替わりの「ワゴン車2台」が盗まれたことでした。
《③ボンゴの盗まれた位置 》 《④マスターエースの盗まれた跡地 》
※盗難届け資料作成のため現場にワゴン車を置き、北側から撮影!
何故ワゴン車を置いたのか?どんな状況で盗まれたのか?に、ついて詳しい経緯と記録を遺しておきたいと思います・・・
ここの土地には初めから一か所だけ、橋を渡るための通り道がありました。(③写真)
歴代所有者の話では・・・土地北側(十和田湖側)の大湯川にかけられた橋は、国道からこの土地を通り抜けて、川向かいの畑や田に通っていた時代があり、その畑より上の沢に鰻の養殖場ができたことで、トラックも渡れるコンクリート橋がかけられたのだそうです。
そして実は、私も45年前に…この橋の上から岩魚釣りをした一人でした。
その当時この土地は国有林だったので、誰でも自由に通行したものと思われます。
昭和41年頃、私が十和田湖のマス釣りにバイクで通っていた時は、国道103号と大湯川に囲まれたこの辺一帯(約3町歩)は、一面牧草地でした。
平成4年頃だったか・・・初代所有者に聞いた話では、牛を飼育するために国有林を牧草地として借受け、その10年後には自分の土地になったとのことです。
かくして、1994年(平成6年)に私が3代目の所有者となった訳ですが・・・その後、この橋が様々な悩みの発端になったのでした。
《農園北側の概略図》 北 《橋への通路とワゴン車の位置》
南
当初、この土地への出入り口は、この橋への通り道一ケ所のみでした。
春から初夏の頃には…山菜採りの車や釣り人の車がドンドン入り込み…橋の上に車を停めて渓流釣りをしたり 通路や土地の中へ駐車し鍵をかけて、川向かいの山中に分け入る者達もおりました。GW期間中は、他県ナンバーのオンパレードです!
…
あげくの果て、弁当の殻や空き缶・ペットボトル、菓子袋などのゴミを大量に散らかし、ちり紙・糞まで置き土産にして立ち去る輩もおり…汚くて、臭くてたまりませんでした。
仕方なく『私有地に付き立ち入り禁止』の札を立て、ロープを張ったりしたのですが…すぐに倒して侵入されるし、冬は除雪で壊されてしまいます。
そこで、ワゴン車の窓ガラス内面に張り紙をして、看板代わりに通路上に停め、入林者に注意喚起をし、無断立ち入りを断念させる方法を考えました。
当時使っていたワゴン車は、長男の誕生記念(1984生まれ)に購入したマツダのボンゴです。 この際、FR車を卒業し、四輪駆動車に替えようと思っていました。
まもなく トヨタのマスターエースの四駆中古車を手に入れたので、ボンゴをナンバー登録のまま、通路入口に置いてみたところ・・・効果てき面…不審車の侵入もなくなり、山菜採りの不法侵入者も来なくなりました。(空缶や古タイヤの投げ捨ては絶えませんが…)
しかし、一安心したのもつかの間…今度は警察から横槍が・・・
『盗難車ではないか?』『怪しいオームの車?が停車している!』などと、付近の住民から苦情が入るので、車を置かないで欲しいと言ってきたのです。
付近の住民?隣地は、釣り堀兼果樹園だし…周りには1軒も家が無いのに?しかも…『私有地に付き、立ち入り及び山菜採り禁止、花木の盗掘・ワゴン車の盗みは鹿角署へ通報する!住所・名前・電話番号』と、フロントガラスに貼り紙しているのですよ…
よりによって・・・『苦情が入るので車を停めないように…』と、鹿角警察署から言われても心外であり、とても理解も納得もできるものではありません!
私も負けじと『ここは道路でもないし自分の土地であり、迷惑してるのは自分の方だ!』と突っぱねたのですが、何回も言ってくるので「誰かが執拗に警察へ電話かけているからだ」と気が付きました。
そこで、『ここは俺の土地で、俺の車だ!かってに盗難車呼ばわりして警察へ電話するな!この馬鹿野郎、住所・名前・電話番号』と、貼り紙をしたら・・・警察から言って来なくなりました。
と言うことは、電話かけてた奴はこの通り道に何かしら利害関係のある人物で、警察を利用したことが見抜かれてしまい、嫌がらせが効かないと分かったようです!
数日後、案の定思った通り、隣の釣り堀から電話が入り『川向かいに養魚場を作ったので、通路を通らせて欲しい』と、嘆願して来たのです。
セコい真似しやがって!と思ったのですが、逆に毎日通ってもらった方がワゴン車の盗難防止に役立つかも知れないし、隣地なのでいつお世話になるかも分からないので、車をさらに端へ寄せて楽に通れるように道を開け、記念のボンゴも廃車(1995年7月末)の手続きを済ませたのでした。
マツダのボンゴは約11年30万キロ走ってくれました。左車輪は左ネジで、スライドドアのステップはステンレス製で腐食しませんでした。ノンターボ2000ccディーゼルエンジンの燃費は、郊外リッター17km走りました。12万km走行でタイミングベルトを交換、故障はリコールのエンジンガスケット交換1回のみです。排気マフラーは廃車まで腐らず無事でした。
マツダ車に興味を持ち始めたのは、25歳ごろ友人のコスモロータリーに乗せてもらってからです。滑らかに静かに加速する感覚は、エンジンというより、モーターのような感じでした。このロータリーエンジンに出会ったことで、マツダの存在を強烈に意識するようになったのです。
昔々・・・ドイツのバンケル社が、1ローターの初期バンケルエンジンを開発したものの、白煙を上げてローター内に傷が付き、数時間で壊れる代物でした。バンケル社はこの欠点を克服できずサジを投げてしまい、世界中のメーカーに技術提携を求め、100社ほどが契約したようで、その結果、世界の見解は『ロータリーエンジンの実用化は絶対不可能!』でした。
日本では、元祖マツダ、トヨタ、ニッサン、スズキ、ヤマハ、ヤンマーなどのメーカーが契約し開発を重ね、5~6年後ついにマツダがロータリーエンジンを完成させ、コスモスポーツを発表しました。はじめてのロータリー量産車です。私が20歳の年だったと思います。
その後…スズキとヤマハは、ロータリーエンジンのオートバイを作り、スズキは輸出専用車として販売したようです。後発のニッサンはサニーに13Bタイプのエンジンを載せ、試作車を公表したのですが、使い勝手が悪く、不評に終わったようで市場では見かけませんでした。
そして、1978年(31歳)春…マツダは夢のようなスポーツカー、サバンナRX-7を発売しました。エンジンは12A型水冷2ローター自然吸気、しかも排ガスを再燃焼させるサーマルリアクタ方式で、53年規制をクリアした優遇税制適用車です。この当時は、マスキー法とか排ガスの問題がクローズアップされ、皮肉にも二流三流と馬鹿にされていた①マツダ②ホンダ③スバルが、意地の技術力を見せつけ優遇税制を適用させたのが痛快でした!
しかし、秋田県のMAZDAディーラーには在庫が無く、また新車では他県で買えないことが分かり諦めていたのですが・・・雪が溶けた4月、仙台へ研修のため盛岡まで軽自動車で行き、整備工場を経営している中学時代の同級生のところに車を預かりました。
研修の帰りに同級生と昔話しや、車談義となり…RX-7の悩みも話したところ、車庫証明が取れれば岩手県でも買えることを教えてくれました。二戸郡浄法寺町に生家があり、義兄が居ることを伝えると、買えるかも知れないということで、その場で盛岡MAZDAディーラーの営業マンに連絡取ってくれ・・・なんと、奇跡が!GTグレードの白が1台あったのです。
商談はトントン進み、義兄の承諾次第となり、盛岡からの帰りすがら浄法寺町の生家へ立寄り、義兄の承諾を得て、ついに念願のRX-7を買うことができたのです。
岩手ナンバーで6年間走りました。鹿角は岩手県との県境であり、花輪町のパチンコ店やスーパーには岩手ナンバーの車が日常茶飯事停まっているので、全く違和感は無いのですが・・・秋田県の大館から西の地域は岩手県に対するアレルギーが酷いですね!
当時、花輪高校のテニス部コーチをしていました。高校総体などで大館市や秋田市の試合に出かけて、大会会場に駐車しておくと…ボンネットに石を投げられたり、ドアを傷付けられたり、車のあちこちに踏まれた跡や、ヘッドライトを出しておくとレンズのガラスにまで悪戯されました。
何度か、現行犯の生徒を捕まえたのですが…大会会場で殴るわけにもいかず堪えて堪えて、岩手の誇りを保ちました。
この行為は絶対許すことはできないので、やられた記録として書き遺しておきます。当時の感覚では…日本海側の民族は、倭寇のDNAをひき継ぐ末裔と思いました。
勤めた会社では、職種の変更による長期の研修が多く、テニスはコーチも自分の試合出場も、33歳でやめました。
試合日がテニスと重なる、クレー射撃も弾の管理などで煩わしいので休みました。
結婚のことも、将来のことも考えて、会社の中堅幹部選抜試験を受け・・・鈴鹿の研修所で9ヶ月の研修を受けたのも33歳の年でした。
この鈴鹿研修所で過ごした昭和55年が、私の人生を大きく変えた年です。鈴鹿に行く前年に・・・運命の女性が現われたのです。
その人は、私の好きな高校時代の同級生にそっくりな素晴らしい方でした。彼女は、当時飼っていた犬の世話を9ヶ月間もしてくれました。
1980年12月下旬、研修を終えて配属されたところは、五城目町の営業所でした。
翌1981年は、五城目町~鹿角市へ至る、国道285号線を何回往復したか分からないくらいRX-7で走りました。
1982年…ついに彼女と五城目町で暮らすことになり、証人ができて8月20日入籍しました。一ヶ月後の9月20日に長女が生まれ…妻の名前と、私の名前から一字ずつ録り 真保 と名付けました。
「眞」と「真」の字は凄く迷いましたが、妻が本名の「眞」を使わないので…何かあるのでは?と思い 真保(まほ)に決めました。『真実を保つ』 と言う意味です!
《1982年10月20日・・・妻と生後一ヶ月の真保です!》
《1984年9月24日・・・2歳の真保ちゃんです!》
1983年秋以降は…子供が二人になるので、休日にはワゴン車を探しに、五城目町から秋田市へ何度も通いました。
中古車を一通り見て回るも気に入った車が見つからず、新車に切替え、トヨタ~ニッサン~いすゞ…と訪ねてみたのですが、商談ではRX-7の下取り価格が折り合わず( トヨタは5万円、ニッサンといすゞは、なんと査定なしの 0円 と言われ!)とてもショックでした。
事前に、RX-7の中古車標準取引額が49万円であることを調査していたので、マツダのロータリー車が、これほど四面楚歌並みの待遇を受けるとは思いもよりませんでした。
当初、マツダのボンゴ・ディーゼル車を買う気など全くありませんでした。しかし他の3社がとんでもないぼったくり商談でしたので、自動的にマツダの店に行くことになったのです。
マツダの店員が言うには・・・『ワゴン車ならディーゼルです。ディーゼルなら絶対マツダです!』、『マツダはディーゼルには絶対の自信を持っています!その証拠に、タイタントラック2トンディーゼル車は約20年連続売上日本一を維持しており、ワンボックスカーを開発・販売したのも、マツダのボンゴが初めてです!』との説明には、私も驚きました。
そして、店員の薦めるマツダのボンゴに試乗してみて納得…ガソリン車のように振動が少なく、アクセルを踏むと軽く吹け上がり音も静か、ノンターボなのに高回転域でも粘りのある力強いディーゼルエンジンに魅了されて、一発でボンゴに決めました。(秋田市のぼったくり3社様に感謝・感謝です)
こんなに凄いエンジンを全く知らずに生きてたことが不思議であり、理解できないくらいの衝撃を受けたものです。
28年後の2012年3月、マツダはスカイアクティブ技術のクリーンディーゼルエンジンを開発しました。日本はハイブリット車、電気自動車は世界トップレベルですが、クリーンディーゼル技術はヨーロッパ各国に後れをとっていましたので、マツダは一矢報いたところです。
突然の SKYACTIV に…『MAZDAが?』と、驚いた方が多かったことと思います。その結果は2012年国内で最も売れた車であったようで、受注の8割はクリーンディーゼルとか・・・
ボンゴ時代にMAZDAの技術を体感した私は、この情報を知って心地良い納得の思いに浸っておるところです。MAZDAの技術の宣伝をすると・・・2003年には、究極のクリーンなエコカー、水素ロータリーエンジンを開発しました。水素を燃焼させ、発生する水を水蒸気として排出するのです。しかもRX-8ハイドロジェンREは、ガソリンタンクも付いていて、水素がなくなったらガソリンでも走れるように作っているのです。
あの誇り高きゲルマン民族のドイツ人がサジを投げ、世界が『不可能と諦めた!』バンケルエンジンを、世界一クリーンなロータリーエンジンに作り上げたマツダは、本当に偉大であり世界一の技術であると、心から敬意を表するところです。
日本の技術を世界に知らしめ、長年にわたり『メイド・イン・ジャパン』の信頼を築き上げたことは、計り知れない功績であると思います。
マツダは、世界に 大和魂 を知らしめた、正に 『侍ジャパン』 です!
ボンゴの新車登録は、慎之介が生まれて三か月後の4月下旬でした。 妻も子供達も新車… その2へ
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