28年後の2012年3月、マツダはスカイアクティブ技術のクリーンディーゼルエンジンを開発しました。日本はハイブリット車、電気自動車は世界トップレベルですが、クリーンディーゼル技術はヨーロッパ各国に後れをとっていましたので、マツダは一矢報いたところです。
突然の SKYACTIV に…『MAZDAが?』と、驚いた方が多かったことと思います。その結果は2012年国内で最も売れた車であったようで、受注の8割はクリーンディーゼルとか・・・
ボンゴ時代にMAZDAの技術を体感した私は、この情報を知って心地良い納得の思いに浸っておるところです。MAZDAの技術の宣伝をすると・・・2003年には、究極のクリーンなエコカー、水素ロータリーエンジンを開発しました。水素を燃焼させ、発生する水を水蒸気として排出するのです。しかもRX-8ハイドロジェンREは、ガソリンタンクも付いていて、水素がなくなったらガソリンでも走れるように作っているのです。
あの誇り高きゲルマン民族のドイツ人がサジを投げ、世界が『不可能と諦めた!』バンケルエンジンを、世界一クリーンなロータリーエンジンに作り上げたマツダは、本当に偉大であり世界一の技術であると、心から敬意を表するところです。
日本の技術を世界に知らしめ、長年にわたり『メイド・イン・ジャパン』の信頼を築き上げたことは、計り知れない功績であると思います。
マツダは、世界に大和魂を知らしめた、正に 『侍ジャパン』 です!
ボンゴの新車登録は、慎之介が生まれて三か月後の4月下旬でした。妻も子供達も新車の…ボンゴ Limitedには大満足、大喜びで寝転がってくれて…嬉しかったですね!
《1984年1月4日生まれ・・・長男の慎之介です!》 《 トンボは?真保ちゃんの足元》
友人や同僚を乗せると、その快適さに必ず絶賛されました。
その当時はファミリアのようなハッチバック車に人気があり、ワンBOXタイプの自家用車は少なかったので、けっこう注目されましたね!
慎之介が生まれて翌年・・・五城目町から秋田市へ転勤、2年後の1987年に能代市へ転勤し、一旦は能代の社宅へ荷物を運ぶも、家族が引っ越す前日に、社宅が東能代へ変更されたので、長女の真保ちゃんは東能代幼稚園に入りました。
社宅から2km先の能代市内に子供達が大好きな「トゥインクルスターズ」があり、よく食事に出かけました。子供用のご飯には花火が付いていて、お絵かきの画用紙が貰えたのです。
手元に残った、たった1枚の絵は、真保ちゃんからのXmasプレゼントだったと思います。
お店は国道7号の左側にあり、お店前の柵も、ツリーの電飾も、星も月も良く見てるものだなぁ~と感心したものです。 子供の感覚では、ボンゴは大きな家と同じことも分かりました。三角の窓はフロントガラスで、次は助手席の窓で、三番目はスライドドアの窓で、四番目は後部座席側の窓なんですよね!
こんなに小さな幼稚園の子が、窓の数を正確に書くなんて、良く見ると、後輪の後方に排気マフラーまで書いているのです。
紛失して長年見つからなかったのですが、退職した2008年に写真や賞状などを探していたら・・・カビが生えて変色し、しわくちゃになって見つかったのです。濡らしたわけでもないのに?と、考えた結果…お店でも書いていたので、食べ物が手に付いたままだったからではないかと思います。(ボンゴの絵の下には、微かに STARS の透かしが見えます!)
真保ちゃんは、とにかく絵を書く子でした。
1~2歳頃は仕事が終わり社宅へ帰ると、お絵かき帳と真保ちゃんが待っていましたね。その日書いた絵を何枚も見せてもらうと、一緒に大はしゃぎしてました。晩ご飯の後は、今度は私が書く番です。真保ちゃんは必ず、“ ト一屋書いて!” と、言うのです。
毎日、『 ト一屋スーパー』へ買い物に行くのがよほど楽しかったようで、真保ちゃんに言われて何枚書いたか知れません!犬や鳥など様々書くうち…お風呂の時間となりお絵かき終了でした。慎之介が生まれてからは、4歳頃までずっと私と一緒に寝ていましたね。
この絵を見ていると、27年前を思い出し…涙ぐんでしまいます!
《私の宝もの…トゥインクルスターズの風景を書いた、真保ちゃんの絵です!》
ボンゴのシートはとても豪華でしっかりしていたので、農園にバンガローを作ったら子供達の思い出が詰まったシートを生涯、ソファー兼ベッドに使う計画でしたが・・・ 残念ながらそれは叶わぬ夢となってしまい、一番悔しいのは、子供達の書いた絵やオモチャ、自分の釣り道具や皮ジャンバーなど、車に積んでいた思い出の品が全て無くなったことです。
《1994年秋・・・大館市の果樹園にてリンゴの収穫、廃車10ヶ月前のボンゴも健在です!》
マスターエースの中古車は2年で壊れたのでこの車も農園内への浸入を防ぐ目的で縦断通路に置きました。それから長い年月の間、2台のワゴン車は原生林を守ってくれました。
その後、あまりに不便なので2000年(平成12年)頃、土地の真ん中辺りに①写真の農園入口と、②写真のような林内に遊歩道を作ったのでした。
そして、不覚を取った2007年の出来事について書き遺します。
それは・・・ある男Mが現われてから起きた出来事でした。
Mは花輪の畑に置いてある軽自動車に狙いを付け『タダで処分してあげます!』と言って近づいて来たとのことです。妻はこのボロ車を何とか処分して欲しいと願っていたので、有難い事だと直ぐ話に乗り、概ね承諾して私の返答待ちとしたようです。
妻は私が東京から帰省する度に『早く処分してもらって~!』と、うるさく自分の考えを押し付け、一刻も早く車を運んでもらうよう促すのでした。
妻の得意技は、『片付ける=捨てること』なので、チャンスがあれば今の今、即捨てないと気が済まない性質です。私は何でも捨てないで溜めておく性質なので…せがまれると無性に腹が立ちストレスが溜まるのです。
私が幼少期…母に教えられたのは、常に『廃物利用』を考えることだったので、何不自由なく暮らせる今でも、もったいなくて捨てられない性質のままなんです!
特に車の場合は、どんなに外観が錆びていても、エンジンが高価な金属(合金)なので買っていくのだそうですから、慌ててタダでくれてやる必要はないのです。
私の考えは・・・農園に置いてあるバスと軽トラックと合わせて3台で、中古車と交換取引きしようと思ってるので、どんなに古くても、タダではくれてやりたくないのですが…東京へ単身赴任した7年間は、妻が難儀して野菜を作り畑を守ってくれたので、小屋代わりボロ車の処分については、妻の言う通りに従うしかなかったのでした。
春から夏にかけては、畑が忙しい時期なので月1~2回ペースで、東京から帰省しておりました。帰って来るとすぐに言われるのが『こちらから連絡して早く処分してもらって~』です。
会社ではパワハラ、家に帰り妻に責められると…理性をコントロール出来なくなり、昔味わったうつ病のトラウマが甦ってきて、何もかも嫌になり気力が定まらなくなるのです。それは2004年に熱中症で気を失ってからの後遺症ではないかと思っています。
今までの人生で、最大の敵はストレスでした。死を考えたことは4回あり、うつ状態は2回経験、57歳(2004年)の2月は仕事に行き詰まり初めて顔に帯状疱疹を経験、その年は6月から真夏日が続き…ストレスと寝不足で、ついに7月16日(金)17時45分頃、JR飯田橋駅前で酸欠状態に陥り、秋葉原駅ホームで倒れました。熱中症でした。気温は39.6度を記録。
この日は帰省するので、終業5分前にパソコンの電源を切ったのですが、1分前にお客から電話が入り、10分ほど退社が遅れたため、飯田橋駅まで走っての出来事でした。意識がもうろうとなり、どうしても切符が買えずに定期で秋葉原駅まで行ったようです。秋葉原のホームに降りたら視界が真っ白になり、気が付いたら鉄柱にしがみつき、うずくまって居ました。
これ以後の生命力は急激に低下…35度で息苦しくなるし、ちょっと疲れると動悸がするようになりました。 2011年からは健康診断で不整脈を指摘されています。
妻から軽自動車処分の話が出てから、二か月経ったある日、Mが畑にやって来ました。このMは…私の小学時代の同級生の弟であることは、苗字と人相ですぐ分かりました。
同級生Mはかなりの曲者だったので、その弟には嫌な予感がして関わりたくないのです。生意気でセコくて、極端に細い目は雲助か犯罪者の本性だと察知しました。ふてぶてしい面構えから、暴力組織をバックに抱えている悪徳業者ではないかと感じました。
道路上から『車持って行きますから・・・』と叫んでいるので、作業を止めて近づいて行くと突然、Mの携帯に着信があり、同僚との会話を始めました。側で待たされたまま聞いていると、十和田湖方面の車を物色していて…『白沢のワゴン車も持って来い!』と、指図しているのです。相手の同僚の方はためらっているのか、数分、押し問答していたのですが・・・
突然、Mが切れたように『いいがら、早ぐ持って来い!』と大声で怒鳴って携帯を閉じたので、私もびっくりして『オイオイ
そのワゴンは俺の車だぞ!かってに持ってぐなよ
』、と言ったのですが『うるせえ~それどころでねー
』と捨てゼリフを吐き、本性丸出しのまま大急ぎで逃げ去ったのでした。
面と向かって話したのはその後も、この一言一回切りでした。
同級生よりかなり性質が悪くて、もの凄く腹が立ったのですが・・・今すぐに盗むかどうか分からないし、警察が駆け付けてもMの野郎は『花輪の畑の軽自動車も許可を得て運ぶことになってるし、自宅へ電話して奥さんに確認して下さい』と言う作り話で切り抜け、捕まらない可能性があるので、少し泳がせることにしたのです。
その日の夕方には、東京へ発たなければならないし、警察への通報は明日以降、東京から連絡しようと思い、予定通り夕方帰りました。
ところが、間抜けなことにボンゴとマスターエースの廃車前のナンバーや車検証などを調べるのを忘れてしまい、通報の使用がないのです。さらに、本当に盗んだか確認していないので、憶測で通報することになってしまうため、結果的に何もできませんでした。
2~3日後、妻に電話したところ、花輪の畑のボロ車はまだ有るとのことでした。奴らはワゴン車を2台も積んだので、運べなかったのか?または、貼り紙や車検証から私の車であることが分かったので、警察が動き出すか様子を見ているのかも?もしかしたら、まだ盗めないでいるかも知れない!と、かってに思い込み・・・ 前編終了
後編へ続く・・・
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