[リハビリ病院での入院生活。(リハビリの内容別記事。)]
写真 入院中ある日のメモ
1) 転院1か月後、9月のある一週間のスケジュールです。回復期リハビリテーション病
院でリハビリは毎日あります。40分単位で行われます。
9月10日 土曜日
9時半~作業療法 主に腕・手のリハビリ
11時10分から理学療法 主に足・脚のリハビリ
昼食
13時50分~作業療法
16時10分~理学療法
9月11日 日曜日
11時10分~作業療法
昼食
12時50分~作業療法
1430分~理学療法法
9月12日 月曜日
9時50分~作業療法
11時10分~理学療法
昼食
12時50分~作業療法
入浴
15時30分~理学療法
9月13日 火曜日
8時50分~理学療法
10時50分~作業療法
昼食
12時50分~理学療法
14時30分~言語療法 顔面・口内マヒ・発声のリハビリ
9月14日 水曜日
9時半~作業療法
11時10分~理学療法
昼食
12時50分~言語療法
入浴
16時10分~言語療法
9月15日 木曜日
9時10分~作業療法
11時10分~作業療法
昼食
12時50分~理学療法
自分用の車いす到着。体に合わせてもらう。このころの移動はすべてお任せ。自分で食堂や
トイレに移動できるようになったの(回復状況に応じて許可が出る。)は11月に入ってから
16時50分~作業療法
9月16日 金曜日
8時50分~作業療法
10時半~作業療法
昼食
1250分~理学療法
入浴
16時10分~作業療法
9月17日 土曜日
8時50分~作業療法
10時10分~理学療法
昼食
13時30分~作業療法
15時50分~理学療法
2) 転院後、期待と不安
このころはリハビリテーション病院への転院1か月でした。まだ入院期間に余裕があり、リ
ハビリへの期待と不安が織り交ざっていました。日祭日休みなしの毎日リハビリです。院内
は救急病院のようなあわただしさはなく、施設は清潔で落ち着いていました。
3) 食事に満足
食事はおいしかったです。
私は入院前、独居生活で弁当ものばかりでした。
麺類や納豆には困りました。麺類は口内マヒで吸い込めないので箸で挟んで口の押し込みます。
納豆は看護師や介護士の方にかき混ぜてもらってご飯にかけてスプーンで食べました。
4) 利き手がマヒに
私は利き腕の左をマヒしたので、右で食べました。
幼いころは左で食事をしましたが下の妹弟が増えると、食事は隣同士で手がぶつかるので、
小学生低学年のころ、右手で食事するようになり、この頃字も右手で書くようにしました。
親元を離れて一人で生活を始めると左手での食事に戻りました。
一時右で食事をした経験が今回役に立ちました。右手で普通に食事できます。
ただ、柔らかい豆腐や小さな丸い豆などを滑らかな箸でつまむのは苦手です
5) 少量に我慢
初めは1日1500kカロリーで量が少なくおなかがすきました、家族の差し入れでしのぎました。
のちに1800kカロリーに増やしてもらいました退院後、食事管理と1日4回のリハビリで
体重が減りました。
私の食事の席の向かいに座る体格のよい人がいました。量を増やしてもらってもとても足ら
ず家族の差し入れだけでなく、自分で買い出しに行き、体重コントロールができないと看護
師に苦情を言われたそうです。
6)昼食時の薬
薬は初め、看護師が時間を見て持ってきてくれました。ある時期から自己管理になり、昼食
時の薬は動かない左手に薬を挟み込んで右手にハサミを持ち封を切りました。このころか
ら、マヒ側の手をできるだけ使うように考えていました。作業療法士さんのアドバイスでし
た。
7) 移動は人任せ
このころの私は自分で移動することができませんでした。食堂への着席から、食事後の歯磨
き、退席すべて人手を頼って移動でした。トイレも自分一人で入れません。
看護師や介護士の人に介助してもらいました。自分でできるのは排泄と尻ふきぐらい。
洗った手も拭いてもらいました。歯磨きは自分で磨きましたが面倒見てもらうため順番待ち
でした。
8) 事故防止の為
車いすで食堂や休憩室へトイレへの移動、トイレに一人で用が足せるかどうか。車いすとレ
ベッド移乗など安全に動作できるかどうか担当部署が見極めます
。
必要に応じて介護士、看護師、療法士、の評価の
上に医師の判断が加わって決まるのでずいぶんまどろっこしく感じました。
9) ぎっくり腰と肩の亜脱臼に苦しむ
ぎっくり腰でこまりました。柔らかなマットのベッド生活は苦痛でした
。
固いマットに交換してもらいました。
ベッドで仰向けになると、亜脱臼した腕の重さで亜脱臼部が痛みました。
腕の下にタオルを置いて腕の落ち込みを防ぎました。
幸いなことに、体を起こして腕が下に下がっている時は痛みが出ませんでした。
ベッドから起きるときは亜脱臼した腕(マヒが発生した左腕)を健側の右手
で体に沿わせて動かないようにしながら体を起こします。
救急病院でもぎっくり腰による腰の痛みは同じで、ベッドのマットを固いものに変えてもら
いました。
10 )お風呂週2回あり
マヒに応じて、介護士が体を洗うのや着替えなど介助してくれました。自分でできることは
自分でやりました。(救急病院ではストレッチャーで運ばれ、浴槽の受け台に移され、洗っ
てもらいました。)
介助してもらっても動かない手足では着替えの着衣や靴下を履くことはリハビリと同じで
す。
浴槽には1度も入れませんでした。入浴後にもリハビリがあります。だるくなった体で、歩
きのリハビリがあるとつらいです。
11) 寒さに苦しむ
左手足の血流がよくないせいか、クーラーの寒さには苦労しました。同室の人はティーシャ
ツ半ズボンでいるのに、私はタイツやセーター上着を着ても寒く、同室の人に了解を得て室
温を上げました。
入院準備ができなかった救急病院ではパジャマ2枚重ね着しました。
どういうわけか花粉症で目やにがいっぱいでました。目薬をもらい治療。
退院した現在も苦労は続いて、薬を飲み、目薬をし、ゴーグルをかけています。
12)情緒不安定に
回復が思う程に進まず、先行きに不安を持つようになり情緒府算定になりました。
精神安定剤や睡眠剤をもらいました。そんな時、慰めになるのは家族や友人知人の訪れで
す。会っても頭の回転が回らず、呂律もはっきりせず。そんなに話せるわけでもないです
が、会えているのがうれしかったです。
気持ちが落ち込むと家族に些細ことで電話しました。家族の声を聴くだけで安心しました。
不安な時トイレで用を足していると不思議に落ち着きました。
13)生まれて4か月の赤ちゃんを抱っこし、感激
そんな時、知り合いの作業療法士さんが赤ちゃんを連れと見舞いに来てくれました。赤ちゃ
んと握手したり、抱っこさせてもらいました。感激でした。赤ちゃんパワーをもらいまし
た。サガミのリハビリテーション病院の作業療法士さんありがとうございました。
12) 入院中、ある日のメモです
当時メモしていた記録 もともと字はへたくそですが、脳梗塞で、右手も動きが鈍かったです。
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2
Iga
写真 入院中ある日のメモ
1) 転院1か月後、9月のある一週間のスケジュールです。回復期リハビリテーション病
院でリハビリは毎日あります。40分単位で行われます。
9月10日 土曜日
9時半~作業療法 主に腕・手のリハビリ
11時10分から理学療法 主に足・脚のリハビリ
昼食
13時50分~作業療法
16時10分~理学療法
9月11日 日曜日
11時10分~作業療法
昼食
12時50分~作業療法
1430分~理学療法法
9月12日 月曜日
9時50分~作業療法
11時10分~理学療法
昼食
12時50分~作業療法
入浴
15時30分~理学療法
9月13日 火曜日
8時50分~理学療法
10時50分~作業療法
昼食
12時50分~理学療法
14時30分~言語療法 顔面・口内マヒ・発声のリハビリ
9月14日 水曜日
9時半~作業療法
11時10分~理学療法
昼食
12時50分~言語療法
入浴
16時10分~言語療法
9月15日 木曜日
9時10分~作業療法
11時10分~作業療法
昼食
12時50分~理学療法
自分用の車いす到着。体に合わせてもらう。このころの移動はすべてお任せ。自分で食堂や
トイレに移動できるようになったの(回復状況に応じて許可が出る。)は11月に入ってから
16時50分~作業療法
9月16日 金曜日
8時50分~作業療法
10時半~作業療法
昼食
1250分~理学療法
入浴
16時10分~作業療法
9月17日 土曜日
8時50分~作業療法
10時10分~理学療法
昼食
13時30分~作業療法
15時50分~理学療法
2) 転院後、期待と不安
このころはリハビリテーション病院への転院1か月でした。まだ入院期間に余裕があり、リ
ハビリへの期待と不安が織り交ざっていました。日祭日休みなしの毎日リハビリです。院内
は救急病院のようなあわただしさはなく、施設は清潔で落ち着いていました。
3) 食事に満足
食事はおいしかったです。
私は入院前、独居生活で弁当ものばかりでした。
麺類や納豆には困りました。麺類は口内マヒで吸い込めないので箸で挟んで口の押し込みます。
納豆は看護師や介護士の方にかき混ぜてもらってご飯にかけてスプーンで食べました。
4) 利き手がマヒに
私は利き腕の左をマヒしたので、右で食べました。
幼いころは左で食事をしましたが下の妹弟が増えると、食事は隣同士で手がぶつかるので、
小学生低学年のころ、右手で食事するようになり、この頃字も右手で書くようにしました。
親元を離れて一人で生活を始めると左手での食事に戻りました。
一時右で食事をした経験が今回役に立ちました。右手で普通に食事できます。
ただ、柔らかい豆腐や小さな丸い豆などを滑らかな箸でつまむのは苦手です
5) 少量に我慢
初めは1日1500kカロリーで量が少なくおなかがすきました、家族の差し入れでしのぎました。
のちに1800kカロリーに増やしてもらいました退院後、食事管理と1日4回のリハビリで
体重が減りました。
私の食事の席の向かいに座る体格のよい人がいました。量を増やしてもらってもとても足ら
ず家族の差し入れだけでなく、自分で買い出しに行き、体重コントロールができないと看護
師に苦情を言われたそうです。
6)昼食時の薬
薬は初め、看護師が時間を見て持ってきてくれました。ある時期から自己管理になり、昼食
時の薬は動かない左手に薬を挟み込んで右手にハサミを持ち封を切りました。このころか
ら、マヒ側の手をできるだけ使うように考えていました。作業療法士さんのアドバイスでし
た。
7) 移動は人任せ
このころの私は自分で移動することができませんでした。食堂への着席から、食事後の歯磨
き、退席すべて人手を頼って移動でした。トイレも自分一人で入れません。
看護師や介護士の人に介助してもらいました。自分でできるのは排泄と尻ふきぐらい。
洗った手も拭いてもらいました。歯磨きは自分で磨きましたが面倒見てもらうため順番待ち
でした。
8) 事故防止の為
車いすで食堂や休憩室へトイレへの移動、トイレに一人で用が足せるかどうか。車いすとレ
ベッド移乗など安全に動作できるかどうか担当部署が見極めます
。
必要に応じて介護士、看護師、療法士、の評価の
上に医師の判断が加わって決まるのでずいぶんまどろっこしく感じました。
9) ぎっくり腰と肩の亜脱臼に苦しむ
ぎっくり腰でこまりました。柔らかなマットのベッド生活は苦痛でした
。
固いマットに交換してもらいました。
ベッドで仰向けになると、亜脱臼した腕の重さで亜脱臼部が痛みました。
腕の下にタオルを置いて腕の落ち込みを防ぎました。
幸いなことに、体を起こして腕が下に下がっている時は痛みが出ませんでした。
ベッドから起きるときは亜脱臼した腕(マヒが発生した左腕)を健側の右手
で体に沿わせて動かないようにしながら体を起こします。
救急病院でもぎっくり腰による腰の痛みは同じで、ベッドのマットを固いものに変えてもら
いました。
10 )お風呂週2回あり
マヒに応じて、介護士が体を洗うのや着替えなど介助してくれました。自分でできることは
自分でやりました。(救急病院ではストレッチャーで運ばれ、浴槽の受け台に移され、洗っ
てもらいました。)
介助してもらっても動かない手足では着替えの着衣や靴下を履くことはリハビリと同じで
す。
浴槽には1度も入れませんでした。入浴後にもリハビリがあります。だるくなった体で、歩
きのリハビリがあるとつらいです。
11) 寒さに苦しむ
左手足の血流がよくないせいか、クーラーの寒さには苦労しました。同室の人はティーシャ
ツ半ズボンでいるのに、私はタイツやセーター上着を着ても寒く、同室の人に了解を得て室
温を上げました。
入院準備ができなかった救急病院ではパジャマ2枚重ね着しました。
どういうわけか花粉症で目やにがいっぱいでました。目薬をもらい治療。
退院した現在も苦労は続いて、薬を飲み、目薬をし、ゴーグルをかけています。
12)情緒不安定に
回復が思う程に進まず、先行きに不安を持つようになり情緒府算定になりました。
精神安定剤や睡眠剤をもらいました。そんな時、慰めになるのは家族や友人知人の訪れで
す。会っても頭の回転が回らず、呂律もはっきりせず。そんなに話せるわけでもないです
が、会えているのがうれしかったです。
気持ちが落ち込むと家族に些細ことで電話しました。家族の声を聴くだけで安心しました。
不安な時トイレで用を足していると不思議に落ち着きました。
13)生まれて4か月の赤ちゃんを抱っこし、感激
そんな時、知り合いの作業療法士さんが赤ちゃんを連れと見舞いに来てくれました。赤ちゃ
んと握手したり、抱っこさせてもらいました。感激でした。赤ちゃんパワーをもらいまし
た。サガミのリハビリテーション病院の作業療法士さんありがとうございました。
12) 入院中、ある日のメモです
当時メモしていた記録 もともと字はへたくそですが、脳梗塞で、右手も動きが鈍かったです。
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Iga
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