国営ひたち海浜公園でスイセンと菜の花を見て
「みはらしの丘」に登りネモフィラや常陸那珂港を見ました。
チューリップ園も非常に広く歩き回って疲れました。
「記念の森レストハウス」で一休み。
綺麗なクリスマスローズが沢山咲いています。
レストハウスには歴史ギャラリーが併設されていました。
この広い綺麗な公園が出来る前の歴史が記録されています。
1936年5月(昭和11年)陸軍航空隊が海岸の標的へ射撃訓練実施
1939年10月 水戸陸軍飛行学校開校
1943年8月 特別攻撃隊の要員教育の場になった。
1945年8月 終戦
1946年6月 占領軍が爆撃演習場として旧水戸飛行場を接収
1952年7月 日米安保条約で米空軍の対地射撃場となる。
射撃場の一部は自衛隊が使用
250kg 不発爆弾
1971年6月 米軍の射撃演習の停止
爆弾誤投下、機銃誤射、墜落、不時着、超低空事故
不発弾、250kg 大きいのや長いの色々ありました。
1973年3月 水戸対地射爆場返還
戦闘機からの誤射や誤爆で住民の悲惨な被害が沢山出ています。
隣接の原子力施設が立地する危険性の増大から昭和48年
ついに平和と安全のためにこの地は取り戻されました。
爆撃機
1959年3月(昭和34年)茨城に着任したので14年間も
耳をつんざくような爆音を何度となく経験しました。
「記念の森レストハウス」でこの地方の不幸な一時期を知りました。
それを写真に撮って紹介しました。
綺麗な花を沢山みて平和の尊さをしみじみと感じました。
私も都内にいましたのでお袋に手を惹かれて
防空壕へ退避したことを覚えてますその時の空の色だけ
は今でも覚えていますどす黒い真っ赤な色でした。
私は1966年に前橋へ来ましたが、榛名山麓の自衛隊相馬ヶ原演習場がかってジラード事件(薬莢を拾おうとした地元の主婦が射殺された事件)が起きた場所だと知り驚いたことを思い出しました。
戦争のことを少しだけ覚えている世代ですがもう知る人は少なくなりましたね。
いつまでも貴重な歴史遺産が残ってほしい物です。
爆弾の数々‥‥ ビックリですよ~
戦後生まれのエゾモモンガは
空襲と言う、恐ろしい思いを経験した事はありませんが
映画では、よく見てました!
きれいですね。
ここが旧陸軍の飛行場
とは考えられません。
平和は良いですね。
こうして、戦争の歴史を見ると、近隣諸国の進んでいる道に疑問しか起きません。
二度とないことを祈るしかないのですね。
広い松林を全部公園にしたのは大きな犠牲が
あったのだからでしょう。
戦時中は田舎で被爆はなかったが
ここで米軍航空機の爆音には驚きました。
低空飛行の爆音は本当に凄いです。
会話が途絶えてしまいます。
あの頃は色んな事件がありましたね。
森のレストハウスでは何時も一休みでコーヒー飲んでいました。
歴史ギャラリーの写真を撮れるので全容を紹介しました。
決して忘れてはならない場所ですね。
戦争の悲惨さと平和の尊さを教えてくれる素晴らしい場所です。
戦争が無駄なことをここへ来て知って欲しいですね。