アマチュア哲学者で

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四国旅行

2022年12月31日 19時49分27秒 | 日記
 旅行といえばアホの一つおぼえのように四国目指して海を渡ってゆく、難波から和歌山港まで南海電車に乗って行って南海フェリーで3千何百円の運賃で行ける。この引継ぎ時刻に要注意、スムーズに移動するには。フェリーで2時間半かかる。このルートはほぼ直線なんだが、なんせフェリー船は遅い。その間、船内暇つぶしにヘッドフォンをしてRAMONESを聴いたりする。パンクロックは純粋だ、雑念がない。途中、淡路島南端沖を通過し沼島を確認する。
 まずは徳島に上陸する。日本は面積小国だと思われるが実はそうではない。日本より面積の小さい国がなんぼでもある。世界各国の順位をとれば日本は上位に位置するはずだ。
 ところで四国はイスラエル国の面積と同じくらいなんだそうだ。モーニングショーの羽鳥氏が言明していた。その四国の大きさを感じたくて渡っている。
 淡路島を高速バスで約30分かけて縦断した。その先、鳴門で途中停車した。競艇場の最寄りのバス停だった。ぼくが乗っていた時、ギャンブラーらしき風体の中年男一人が下りて行った。次に着いたところが松茂町で、ここには最寄りの徳島空港があった。その時何でこんなところで止まるんだと思って、後で調べたらそうだった。
 高速バスの終点はJR徳島駅前である。どこから乗ったかといえば梅田からで、乗車賃は鉄道利用と大きく変わらなかった。
 絶対に愛読書の司馬遼の影響だ。空海や竜馬や長宗我部元親や正岡子規や秋山好古の故郷だった。四国の八十八か所札所の第一番は霊山寺で徳島県内にある。
 土佐出身の長宗我部元親は戦国時代、ほぼ四国全域を制覇した。これは珍しいことでなく、九州は島津氏が、中国は毛利氏、北陸は上杉氏、畿内は三好氏とあちこち日本列島がブロック化されていった。
 明治維新では土佐は薩長土肥として第三位を確保した。これはすごいことだ。当時の最先端地域だった。日本史の最前線にいた。地政学に考えると明治維新は辺境地革命だったなと。本州九州四国の辺境地勢力が中央政権を覆した。しかし薩長土肥の次の第5位はどこの藩ですか。
 板垣退助率いる土佐軍勢は北上して松山藩を占領する。あたかも戦国の長宗我部勢のように。歴史は法則のようにくりかえす。長宗我部は現在の四国では侵略主義者として歓迎されてないみたいだ。しかし未来に四国で道州制をしかれるとしたら四国統一の英雄として顕彰されるのは間違いない。