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「長崎平和祈念式典に想う」(いけふくろう通信第539号)

2009-08-09 14:09:03 | 政治・経済・法律・社会


九州・長崎市街にアメリカの原子爆弾が投下されてから、今日で64年。

恥ずかしながら、はじめて、テレビで平和祈念式典を見た。
被爆者による「平和への誓い」を聴き、その悲惨さがヒシヒシと伝わってきた。

長崎市長、長崎県知事、内閣総理大臣、国連総会議長の挨拶、
爆心に近い高校生徒による合唱などを聴いた。

ただ、唯一、とても気になったことがあった。

それは、会場に手話通訳者がいたにもかかわらず、
映像では、ほとんど映らなかったこと…。

地デジ対応テレビ等、文字字幕放送に対応したテレビを持っている
聴覚障害者の方であれば、その内容を知ることが出来るだろう。

しかし、すべての聴覚障害者の方々が
字幕対応したテレビを持っているとは限らない。

仮に持っていたとしても、文字で見るより、
自らの言語・手話でその語りを聴きたいのではないだろうか?

そう感じたのは、私が手話という言語を学んでいるからだろうか?
それとも先日「手話で語る戦時体験2009」という行事に
参加した際に見た手話での戦争にまつわる語りに、
強い衝撃を受けたからだろうか?

その両方なのかもしれないし、
さらにいえば、戦争なんていうものは二度と起こしてはならないし、
その被害者にもなりたくない、戦争で大切な人を悲しませたくないとする
私のこころの底にある気持ちも含まれているのかもしれない。

終戦から64年を経て、日本という国は豊かになった。

確かに今は100年に一度の大不況で、景気が悪く、
仕事もなく、先が見えず、私もとてもつらい。

しかし、われわれの生活は戦時中の方達のそれに比べれば、
比べものにならないほど、豊かになり、心も満たされているはず。

そんな時代だからこそ、いいたい。
戦争について、深く考え、学び、二度と起こしてはならないとする
つよい気持ちを、国民が共有してほしい。

そのためにも、せめてもの願いだが、国を代表するような式典、
だからこそ、障害のあるなしに関わらない情報保障、
ちょっとした当たり前の配慮をすることはできないのであろうか?

今回の例でいえば、手話通訳者を囲みで映し続けるべきだ
というのが持論というか、ちょっとしたささやきだ。

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~ムッシュ・いけふくろう~


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